公演の情報がオープンになっても、あまり乗り気でなかったこの公演。
だから席もイマイチ悪くて。
井上さんの作品を今の長塚氏が演出ってだけでも違和感なのに
このメンバーで(小劇場的にはとてもオイシイ顔ぶれだけど)、なぜ
こんな狭い所で“ミュージカル”なのか?というのが腑に落ちず。
でも身近に「観たい!」という人が居たので、「だったら私も行くか。」と。
何だか先日の「ロッキー・ホラー・ショー」みたいな感じ(笑)。


11ぴきのネコ「十一ぴきのネコ」紀伊国屋サザンシアター
14列目 12:00開演、14:30終演
作:井上ひさし  演出:長塚圭史
出演:北村有起哉、中村まこと、市川しんぺー、粟根まこと、
蟹江一平、福田転球、大堀こういち、木村靖司、辰巳智秋、
田鍋謙一郎、山内圭哉、勝部演之
【あらすじ】
「ご飯にありついたのは一体いつだった?」野良ネコにゃん太郎は、いつも腹ペコ。家、仕事、お金・・どれもこれも、ないないづくしで何も無い。ところがにゃん太郎は、ある日思いもよらぬものを手に入れた。それは個性的な十匹の野良ネコ仲間。仲間は出来たけど野良ネコが十一ぴきあつまったところで、空腹なのは変わりない。そんな時にゃん作老人に出会いすごい話を聞いてしまった。「大きな湖があって、そこには大きな魚がいる」。おまけに「その魚は十匹や二十匹じゃとても食べきれぬ大きさ」らしい。肩寄せ合って、ここに居たって、餓死するだけの野垂れ死。一大決心、にゃん太郎を中心に十一ぴきのネコが大きな魚を求めて大冒険の旅に出た!夢にまでみた満腹感を味わうことが出来るのか?


ちなみにフライヤーには「子供とその付添いのためのミュージカル」
と書かれていました。そう「子供のための」ではなく。
それは最後まで観ると理解できます。
確かに子供も結構入っていましたし、子供も楽しめると思う・・けど
やっぱり「付添い」のためのミュージカルだと思いました。
温かい、ほんのり甘いカフェオレを飲んでいたら、カップの底には
ザラザラした苦いシロップが沈んでいたって感じかなあ。

ちなみジャンルは「ミュージカル」ではなく「音楽劇」ですね(笑)。

忘れていたけど「余裕があれば早めに会場入りを。」と聞いていた事を
開演前の客席にネコ達がウロウロしはじめたのを観て思い出しました。
ディズニーランドと同じで、猫たちは子供にしか自主的にはアクション
してくれない感じですが(笑)、私の席の前にお子さんがいらっしゃり
次々と色々なネコ達が近寄ってきて声を掛けていくのが観れました。
「またね!」とか「これカワイイね」と持ち物をほめたりしていました♪
行き倒れのように通路に突っ伏しちゃう猫や、客席、客の膝の上に
腰掛ける猫・・と、やりたい放題ぷりが観ていて楽しいです。
そして暗転、猫たちがニャーニャーと合唱して開幕です。
さすが舞台役者さん。10人もそろって真剣にニャーニャー言うと、
声量がありますので(劇場も狭いし)、相当な音量で迫力あります。
(録音してあった音も被せてあったような気もしますけどね)

お腹を空かせた街のノラ猫10匹に、別のノラ猫がやってきて
お話が始まります。それぞれに元の飼い主の性格や職業が反映
しているんですよね。歌舞伎役者に飼われていた猫、シェイクスピア
学者に飼われていた猫・・・。
10匹たちは家族ではないけど、肩寄せ合って生きています。
でもどっちかというと、ネガティブ思考かなあ。
そこに同じノラ猫のにゃん太郎(北村有起哉)がやってきて、話が
動き始めるんですよね。行動的でポジティブシンキング。
パワーマネージメントっていうタイプではないのだけど、気づくと彼が
先頭に立っている。モチベーションを上げるのが上手いタイプかな。
口だけではなく、自分から行動する所もありますしね。(メダカを釣り
上げたり、飛行機で“大きな魚”に突っ込んでいったり)
派手さはないものの、味のある俳優さんばかりですから、猫の個性も
活きているし、どの猫をみても面白い。
まあ歌はねえ・・・頑張っていらっしゃったかな(笑)。

「満腹にはならないけど、ここに残れば飢死まではしないかも」
「絶対に釣れる保証もないし、釣れるまでに餓死するかもしれないけど
 上手くいけば満腹になる」
この2択になった時、日々の生活に疲れて自殺まで考えている10匹は
前者を選ぼうとする。けど希望を捨てていないにゃん太郎は後者を
選択しようとして皆を鼓舞し、魚がいるという湖に向かうのだけど、
なかなか上手くいかず、みんなはにゃん太郎を責める・・ってのは、
現実でもよくある話ですが、不満を言っていた10匹のにゃん達も、
率先垂範のにゃん太郎を見て、体力づくりや工夫をしてついに魚をGET
十一匹が満腹になり、達成感を得て団結する・・・のは絵本ならでは。
でも、魚の事を教えてくれたにゃん作老人は「若ければ自分も
一緒に行きたかった」と言い残して自殺してしまう。
これはねぇ、昔に書かれた話とはいえ、今の日本にも十分当てはまる。
敢えてチャレンジしようという活力が落ちてきている日本。
そして自殺者が非常に多い今の日本。
このあたりからビターな風味が漂いはじめ・・・

驚愕のラスト!
みんながお腹を空かせていた時は団結できていたのに、
空腹から開放されるようになると、次に手に入れたくなるのは権力?
にゃん太郎の独白で11匹のその後が語られるののだけど
あまりにもいたたまれない10年後。
その時の独白の一部はフライヤーの裏面にも書かれています。

「・・がさつだったが、物事すべて明るく輝いていたあの時代。
物資は乏しかったがお互いの間に優しさが満ち溢れいていた創世記。
お腹には何も入っていなかったが、
胸にははちきれそうな、理想と希望があったあの頃。」


この時のにゃん太郎は悲しそうというよりは、少し達観したような印象。
今までリーダーだったにゃん太郎はにゃん次に大統領の座を追われ
徴兵逃れのにゃん四郎は国防長官となって徴兵制の導入を検討。
人・・じゃなかった猫はそんなに変わってしまうのか!?に愕然。
そして暗闇から迫る今は権力者となった9匹の猫に撲殺されてしまう
元大統領のにゃん太。
もう大統領でもないのに、何故そこまでしなきゃいけないの?
目障りだったの?自分の地位を脅かされそうで恐かった?
何かにつけて反目していたにゃん太とにゃん十一だったけど、
結局最後までぶれなかったのは、この2匹だけ。
反目しあっていたようだったけど、実はこの2人じゃなくて2匹は
自分の考えがあり、本質的なところで、似ていたのかもしれないな・・・。

戦後の貧しかった日本が、物質的に豊かになった過程と重なる
部分が多くて。ラストの5分でいっぺんにこの作品が忘れられない
作品になってしまいました。


元々は私が生まれる前に作られた馬場のぼるさんの絵本シリーズで、
それがNHKで人形劇となり、テアトルエコーでミュージカルとして上演、
その後こまつ座で上演された、という歴史のある演目だそうですが、
今回は「こまつ座」版ではなく「テアトルエコー版」での上演だそうです。
あちこちググって違いを探しましたが、「こまつ座」版との一番の違いは
ラストのようです(猫たちの身上も違っているようですが)。繁栄のために
汚染された湖は毒で侵され、その魚を食べた猫たちが全員死んで
いってしまうのだそうです。(にゃん太郎はにゃん十一を看取るそう)
時代を反映したラストで、どちらがより辛辣か?は人によって
受け止め方が違うのでしょうが、私は今回の「テアトルエコー版」の
ラストの方がより今の世相を繁栄しているように思えた分、辛辣で
より恐ろしく感じました。
こういう作品だからこそ、長塚氏も引き受けたんだな、と納得。

このラスト。子供たちは理解できるんだろうか。
(前の列の子供は分かっていない様子だったし)
というよりも、自分が子供と観に来て「あれはどうして?」と問われた
時に、きちんと説明をしてあげられるだろうか?と考えた時、
大人たちは井上さんから大きな宿題を与えられたのではないだろうか、
と考えずにはいられません。
だからこそ「付き添いのための」作品なんじゃないかな。

これは観に来てよかった!と思う1本でした。