KERAバージョンを観るならば、やはり蜷川バージョンも観なければ
と思ったものの、東京公演はチケットが全滅。
(やっぱりJ系の人が出ると・・ね)
慌てて大阪公演にターゲットを変更し、何とかGET出来ての観劇です。

祈りと怪物 蜷川Ver「祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹〜蜷川Ver.」
シアターBRAVA!19列目 18:30開演、22:45終演
作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ  演出:蜷川幸雄
出演:森田剛、勝村政信、原田美枝子、染谷将太、中嶋朋子、三宅弘城、宮本裕子、 野々すみ花、大石継太、渡辺真起子、村杉蝉之介、満島真之介、冨岡弘、新川將人、 石井愃一、橋本さとし、三田和代、伊藤蘭、古谷一行 ほか

KERA版の感想、あらすじはコチラ参照。


蜷川さんは基本的に、脚本をそのまま上演する方で、ご自身が
変えたりなさらないという事を聞いた事がありますが、
本当に戯曲には手を加えていないなあと思いました。
(一部追加した部分があったように思いますが、この件は追記で。)

でも、芝居として受ける印象って違うんですよね。
演出家の解釈の違いなのかなあ。
芝居そのものも面白かったのですが、この2本の比較って本当に
面白いなあと思いました。

あ、劇場では高田聖子さんと遭遇。
何か差し入れを持っていらっしゃったようです。
劇場で聖子さんに遭遇するのは、3度目か4度目(笑)。



鬱蒼とした薄暗い森のセットから始まるKERA版よりも
全体的にシンプルな印象の蜷川版。

2作を観て思ったのは
KERA版は、より寓話性が高くて、主役はドン・ガラス
蜷川版は、より悲劇性が高くて、主役はトヴィーアス。
っていう事かなあ。

今回コロスがいきなりラップなのにビックリ。そしてそれが意外な程
聞き取りやすいのに二度ビックリ。KERA版の方が正統派
(っていうのか?)なコロスだったのね、なんか意外。
そして左右のスクリーンにはコロスのセリフやト書きが映し出される。
戯曲も読んでいるので、ここに表示されているのは戯曲の内容
そのまま、何も手を加えられていない事が分かります。
まあ・・・この字幕は分かり易く丁寧なんだけど、“文字を読む”のに
気を取られてしまい、集中力を削がれてしまうので、ちょっと
弊害もあるかなあ、と思ったり。
(これは私が戯曲を読んでいて、映し出される内容が分かっている
ので、そう思うだけかもしれません)

これは仕方ないんだけど、最初に観たKERA版のキャスティングが
絶妙過ぎて、どうしても引きずられちゃうね、特に最初は。
心理学的に言うと“初頭効果”ってヤツでしょうか。
でもその中で最初から一番しっくりきたのが、三宅さんのパキオテ。
さすがナイロン100℃のメンバー、KERA脚本に親和性があります。
KERA版での大倉パキオテも良かったのですが、私個人としては
三宅パキオテさん&橋本ダンダブールの方が好きでしたね。
大倉パキオテや犬山メメは単体で観るとすごく好きなんですが、
あそこだけ特殊な印象を受けてしまったんですよね。
そういう意味では、三宅パキオテの方が“らしさ”を残したまま、
全体に溶け込んでいたように感じたんです。

あと、蜷川版の方が好きだったのがレティーシャとカサンドラを演じた
野々すみ花さん。すごく聞き取りやすい通る声が印象的ですが
カサンドラの狂喜と、レティーシャが単に“か弱い”だけではなく
運命に負けまいとする芯の強い女性と言う感じが良かったです。
あと三田さんのジャムジャムジャーラも品があって良かったな。

逆にダントツにKERA版の方が良かったのがヤン。
染谷クンはただの若年のヤンキーっぽい感じしかしなくって・・・。
丸山君は残忍さ、冷酷さがあって、それが色っぽさにもなるので
テンが惹かれるのがよく分かるのよね。
・・・まあ、繰り返しになりますが、「良い悪い」ではなく、KERA版
の方がキャスティングが全体にしっくりきたのは確かです。
物語が進むにつれて、違和感は無くなっていきましたけどね。

最初にも書きましたが、KERA版では生瀬さん演じるドン・ガラスの
非情さ、しぶとさがとにかく印象的だったのに対して、勝村さんの
ドン・ガラスは強烈な非情さ、と言うよりも、悲劇の主人公の一人
っていう印象。
蜷川版ではペラーヨ先生の拷問の後にトヴィーアスの独白シーンが
追加されていたりして(KERA版には無かったと思うんですよねー、
戯曲にも無かったし)、よりトヴィーアスの心情にスポットが当たって
いたように思います。(私は森田トヴィーアスはちょっと幼すぎじゃない?
って思うので、小出トヴィーアスの方が好きですが)
ま、森田君ファンのために蜷川さんが見せ場を作ったのかも
しれませんけど(笑)。演出家が違うと、脚本の解釈も変わり得る
っていう視点は面白かったですね。

あとは蜷川版の方が“悲劇”感が強くて、感情移入しやすかったし
“一つのお話”というまとまりがあった気がします。
中盤〜後半に、登場人物が亡くなったりしていく度に、たくさんあった
扉が一つ一つ閉まっていく、っていうイメージが浮かんできました。
KERA版の方が残酷というか無慈悲な寓話って感覚が近かったです。
これも“良し悪し”じゃなくて、“好み”ですよねえ。
私は・・・・あー、どっちも好き(笑)。

パブロがケガをしたふりをして、お医者様の所に行き、地下組織を
炙りだすシーン、KERA版にはあったっけ?(覚えていない)
あれがあるから、パブロが襲われた時、「犯人はペラーヨ」と断言する
伏線になっていると思うのだけど、少なくとも蜷川版では無かったはず。
だから、ちょっとパブロが襲われて失明するシーンが唐突に感じ
られてしまって。そこが残念と言えば残念かも。

いずれにしても、同じ脚本を別のキャスト・演出で続けて観られるって
贅沢だし、いろんな楽しみ方ができて本当に楽しい。
出来れば、蜷川版を踏まえて、もう一度KERA版を観なおしたい(笑)。
2度観て、戯曲も読んで、よくできた作品だなあ・・と実感。
また何年か先にでも、こういう企画をやってみてくれないかな。
ちょっと無理してでも、大阪に観に行けて良かった!と思う1本でした。