2009年から欠かさず楽しみに観ているイキウメの定期公演。
前川さんが円形劇場用に演出をつけたと聞いていたので、できれば
青山で観たかったのですが、スケジュール的に難しく大阪にやって来ました。
(でもABCホールも大好きですよ、立地も雰囲気も良いですし♪)

片鱗「片鱗」ABCホール1列目
13:00開演、14:45終演
作・演出:前川知大
出演:浜田信也、安井順平、伊勢佳世、盛 隆二、岩本幸子、森下 創、大窪人衛、清水葉月、手塚とおる

【あらすじ】
ある郊外の住宅地で、不審者がいるとの通報が増えた。不審者達はどこからともなく現れ、消えていく。何をするわけでもなく、時折苦しそうな表情をみせる。目を離すと、いなくなっている。幽霊という噂が立つが、目撃者は皆確実に存在していたと話す。
あれはいったい何だったんだろう。現れ、存在し、苦しみ、消えていった。人の住処につきものの、ありふれた怪奇現象。その片鱗を掴んだことが、大きな間違いだった。




新作というのも楽しみだったのですが、手塚とおるさんが客演の
ホラーって、それだけで楽しみです。
しかし、秋というか冬にホラー(笑)。まあ前川さんらしいですね。

前川さんによれば、
「SFは不可思議な現象を、科学とその延長線上の言葉で
説明と解決を試みる物語。
ホラーはその現象を分からないまま当事者の体験を描く物語」
とのこと。その分類によれば、「太陽」はSFで、「獣の柱」はホラーに
なるそうです。哲学科出身の脚本家さんらしいですね(笑)。

場所は「金輪町」。ん?聞き覚えが・・と思って調べてみたら、
「ミッション」でも「プランクトンの踊り場」でも同じ町の名前。
そう言えば全く同じ名前の登場人物が居たりしたこともあるので
そこに深い意味は無さそうですが。

舞台は真ん中に十字の通路が設けられた状態で、小さな舞台が4つ。
イキウメの舞台はいつもセットが非常にシンプルなのが好き。






オープニングでその奥のセットの床からぬぅっと出てきたのは
手塚さん。あまりに不気味に出てくるので、思わず「うわっ」と
小さな声が思わず漏れてしまいました。
手塚さんは“人”とは思えないような方向に腕が回転していたり、
膝が曲がっていたり。何も話さないんだけど、その動きと
醸し出す雰囲気があまりに不気味で、人間離れしているので
とにかく目が離せません。そしてこのシーンで、この作品が“ホラー”
であることを思い出させてくれます。
結局手塚さんはセリフは一言もなし。
勿体ないと言えば勿体ないけど、この役があるからこそ、成立している
舞台とも言えて、すごく重要だし、手塚さんでなければ出来ないんじゃない?
と思うような身体能力と存在感に圧倒されます。
(青山で観た友人によれば、円形劇場では客席で観客に座ったりしていたそうです)

住宅地で仲良く暮らす近隣家族に、引っ越してきた父子家庭。
さっきの不気味さはどこへ?という明るさがあるのだけど、手塚さんは
必ず“どこかに居る”、そして“いつも住人達を見つめている”。
笑ったり、大きな音を立ててみたり、突然舞台下から顔を出したり。
私たちも住人達のやり取りを観ながら、視線と意識のどこかに常に
手塚さんが居て、微妙に引っ掛かりを感じたまま舞台を観続ける事に。
また序盤での明るく健全な雰囲気が後半に効いてきます。

引っ越してきた父子家族が怪しいという事は私たちも感じます。
何度も引っ越しを余儀なくされてきたらしいが原因が分からないこと
娘の忍は学校に通えず通信制で学んでいるらしいこと
「生理が来る前は幸せだったの」と意味深な事を忍が言ったりすること
娘と和夫(大窪人衛)を急いでくっつけたがっているように感じること。

でもその理由が分からない。
そして平行して街に異変が起きていく。
植物が枯れていく、「許さない」ばかりを連呼して心を病む住人。
仲の良かった住人達の関係や家族の絆が、あっという間に崩れていく。
住人達も原因が分からないけど、観ている私たちもやはり分からない。

「分からない事が起きている」

という事がどんだけ不気味なのか、を痛感する事になるんですよね。
そして「許さない」と言い続けて心を病む人を観ていると、誰の心にも
あるであろう「許さない」という黒い部分がむき出しになっただけで
私を含めた誰でもあんな風になる可能性があるんじゃないの?
なんて思ってしまい、また別の怖い気持ちが湧きあがってくる。
ある意味、こういうのが本当のホラーなのじゃないかな、と思ったりして。
大きな音や演出で「びくっ」とさせられる“ホラー”もあったけど、
内側からじわじわとくる不気味な気持ちと、消化しきれず胃もたれして
いるような居心地の悪さ。

“不気味な事が起こる”原因(呪い)を実体化したのが手塚とおるさんでした。
手塚さんが“水”を掛けると、掛けられた人が壊れていく。
水は水でも動植物が生きられない“重水”。“生命の源”ではない水。
床にあった水を飛沫のようにかけられたり、床から水が湧いてきたり。
床から湧き上がってくる水の中に座り込み、どんどんと浸されていく。
動くと濡れた自分の水を周りにまき散らしたり、突然大量の水を排出したり。
水は“怒り”なんかの“負”のメタファー。
人の怒りとかの負のオーラは密かに湧き上がり、知らぬ間に侵されていく。
一旦負のオーラにまみれたら、簡単に拭い去る事は難しく、周りの人にまで
“負”を撒き散らし、そして、突然爆発したりもする。

忍(清水葉月)の出産シーンでは“男”はびしょ濡れのまま、出産に力を貸す。
それは、新たな負の原因が生まれる事にもなる訳で・・・。

最後、帰宅しない忍を待つ和夫を見て
「母親は私が生まれてすぐに居なくなった」
という忍の言葉を思い出し、安斎(森下創)と和夫が重なって見える。
そして、安斎親子の過去が理解でき、和夫の未来が見えてくる瞬間。
安斎親子は自分の背負っていたものを人に背負わせて消えてしまった。
自分たちが解放される為に和夫もいつかは同じことをする事になるのか・・?

そういうやりきれない気持ちのまま、幕−。

最近はちょっと社会派な色合いの強い作品が続いていましたが
どちらかと言うと今回は以前のイキウメの作品に近いかも・・です。
(とはいえ、昔よりは重厚になっているし、社会問題を投影していると
言えなくもないと思いますが。)
1時間45分の上演時間とはとても思えない、ガッツリした作品でした。
カーテンコールの際の手塚さんが寒そうで、ちょっとお気の毒でしたが
(変な言い方だけど)「ああ、人間だ」と、ちょっとホッとした感じがしました(笑)。

昔は(私が観はじめる前)「脚本はいいけど、役者がねぇ」なんて劇評を
チラホラ目にした劇団ですが、今はそんな時代があったなんて想像できません。
次は「関数ドミノ」の再演。
あの話を今の前川さん、劇団員の皆さんで上演したらどうなるのか・・
すごく楽しみです。あ、その間に「カタルシツ」があるとか?

これからも追っかけていきたい劇団です。ていうか、追いかけます(笑)。