白井さん演出の舞台は極力観ていますのでこの作品もその面では
興味があったのですが、何故かそれ以上に惹かれるものがあったのです。
誰が人気があるのかわかりませんでしたが、なかなか
チケットを取るのに苦心しました。

マーキュリー・ファー「マーキュリー・ファー」シアタートラムA列(最前列)
19:00開演、21:15終演
作:フィリップ・リドリー  演出:白井 晃
出演:高橋一生、瀬戸康史、中村中、水田航生、小柳心、小川ゲン、半海一晃、千葉雅子
【あらすじ】 
ボロボロの部屋に兄弟がやって来てパーティーの準備をしていると1人の男が突然顔を出し、「バタフライ」が欲しいので手伝うと言う。しばらくするとローラと呼ばれる美貌の人物が現れ、次いでもう1人、このパーティーの首謀者らしき男と謎の婦人がやって来る。彼らはパーティーのためにそれぞれの役割を、異常なほどの饒舌な会話を交わしながら行う。やがて、パーティーゲストがやってきて、パーティープレゼント(と呼ばれる青年)が用意されるのだが、パーティープレゼントの異変により、パーティーは思わぬ展開に… 


「Xシート」とやらを取ったのですが、結局はステージプランが
変更になって、通常の席になったようです。
ただ、座席選択をしてセンター寄りの席を取ったと記憶して
いるのですが、蓋をあけたら下手の一番端っこの席。
なんか・・・ちょっと納得いかない。
舞台が通常の形状ではない上に、舞台上にも大きな凹みがあって
下手の端は死角が多いんです。

舞台上は廃墟のような部屋。窓が板で打ち付けられ、壁紙は
ボロボロになり、床には机や椅子が散乱している。
その打ち付けられた板から漏れる光が開演が近づくにつれ
強く明るくなり、外の日が高くなってきたことが推測できます。
そこへ、懐中電灯を持った男性2人が客席からやって来て、開演。

私が芝居を観はじめた頃の白井さんの舞台の印象は「真っ白」
だったんですよね。それが今は工事用のライトや懐中電灯などの
独特のライティング、というイメージが強くなりました。



全く事前予習も無く、またタイトルからも想像がつかないこの舞台。
最初は全く分からないんです。“バタフライ”も“パーティー”も
“パーディーゲスト”や“パーティープレゼント”の意味が。
それが舞台が進行するとともに、一つずつパズルのピースがはまって
いって、全体が浮かび上がってくるとともに、辛さ、切なさ、哀しさ
そして、やるせなさが降り積もっていく、という感覚でしょうか。
そしてその降り積もったものが、エンディングで破裂して静かに
客席に飛び散るというイメージなんですよね。

“バタフライ”は幻覚などの作用がある「蝶」で麻薬として取引され
羽の模様によって作用が違う。そして常用すると、過去を忘れて
しまうという副作用があるらしい。
そんなバタフライの売人が兄・エリオット。右ひざに古傷があるらしく
足を引きずって歩いている。
弟のダレンはバタフライ中毒で、兄弟の過去の出来事も忘れてしまい
集中力散漫で、兄をイラつかせてばかり。
無条件に兄を頼る弟・・・なんだけど、終盤で兄をリードするという
シーンがあって、それはバタフライの影響から覚めたように
見えたのですが、それがとても大きな意味を持っているように
感じたのでした。

未来か現在かも分からないけど、突然病院が襲撃されたりする世界。
幻覚作用のある“バタフライ”が出てきたことも、「自殺したように死ぬ」
黒いバタフライも現れたりするのにも、きっと意味がある、と思える
そんな荒廃した世界。
そこに繰り返される似つかわしくない「パーティー」という言葉。
ただ、そこには明るいイメージは無く、忌まわしい雰囲気があって・・。
それは“パーティー”の内容が分かった時に理由も分かります。

“パーティーゲスト”が妄想する通りに“パーティープレゼント”をコスプレ
させ生きたまま残虐に殺す・・という究極の(?)サディズムを満足させる、
それがこの“パーティ”。
弱った“パーティープレゼント”が死んでしまい、急遽その場に居合わせた
ナズ(水田航生)が“プレゼント”としてなぶり殺される事になり、
部屋の奥から聞こえる悲鳴・・・。

何でそんな事に加担するの?そこまでしなきゃいけないの?
とあまりの残虐さに目を覆いたくなった時、語られるその裏側。
エリオットが過去に犯して、そして消し去った出来事やエリオットの
膝の傷とダレンの頭の傷跡と“お姫様”の語る過去がシンクロする時、
この世界の近い未来の行く末、ただのヤクザだと思っていた
スピンクス(小柳心)の本当の姿・・・。
「そうか・・」とスピンクスがパーティーを強行する事に納得して
しまいそうになる自分に少し戸惑ったりもします。
そしてエリオットの苦悩も痛いほど分かる・・・。

荒廃して心が荒んでいるという簡単な結論ではなく、生きることへの
執念だったり人間の愚かさや、ちっぽけさがむき出しにされる舞台。
でも、愚かさがむき出しにされるからこそ、見えてくる愛する気持ち。
最初は理解できなかった、エリオットがダレンに序盤に言うセリフ

「ものすごく愛している、だからお前を殺す、
−・・・誰かがお前を傷つける前に・・・。」

が銃撃の音と共にカチリとピースにハマった、と感じた瞬間に
エンディング・・・。
あれがベストかどうかは分からないけど、必然だと思える結末。
抗えない運命が予告する世界の終わり
暴力とドラッグと人非人が支配する街で
僕はバタフライを売り
弟とパーティーを企てる

恐怖の中
忘れた思い出 消した記憶が蘇り
100倍になった恐怖が僕たちを襲う
それでも探し続ける
生きるため 愛するため
どこに在るんだ
もっとやさしくてあったかい星

これはフライヤーの裏面に書かれていたフレーズです。
今思えば、これはエリオットのモノローグ。
ラストシーンの後、意識を失っていったであろう時に
彼の頭の中によぎった内容なんじゃないだろうか。
そう思うと、とてもたまらない気持になりますね。

原作者のフィリップ・リドリーはイラク紛争への介入への憤りから
この作品を描いたのだとか。罪もなく攻撃されてしまう側への
想いも伝わりますが、イスラム国による殺戮やテロなどのニュースが
連日のように報道されている昨今、絵空事とは思えなくなっている
という事に背中の寒くなる思いもしたのでした。
この作品を書いたとき、「なんて酷い話を書くんだ」と作者の
リドリーは絶縁されてしまった友人もいたという話ですが
そこまでひどい話とは思えませんもん。

俳優の皆さんも良かったんですよ。
高橋一生さん、ピカイチで良かったなぁ。冷静に見えるけど
実は弱い部分もたくさんあって・・というのが抜群でした。
中村中さんも良かったのですが、このお二人の共演というと
「ガス人間第一号」を思い出します。
高橋一生さんは、こういう切ないというか報われない役が似合う(笑)。

千葉さんは最後まで千葉さんとは分からなかったし(笑)、
小柳心さんは以前拝見した事があったけど、全く分からなかった。
(↑褒め言葉です)
もちろん、それ以外の皆さんもとても良かったです。
でも、「俳優が演じている」という感覚ではなく、まさにその世界を
覗いている・・という感覚だったこの舞台。

二時間半休憩なしは疲れるなあ?と思っていたのだけど、ちっとも
長いとは感じなかったです。
最前列ということもあってか、相当興奮していたみたいで
終わってから暫くはバクバクした感じがぬけませんでした。
ああ、観て良かった。
「観に行かなきゃ」という直感は大当たりでしたね。 
今でも舞台ダイジェストの映像を観ると、観終わった時のバクバク
した感じが蘇って来ます、怖いぐらいに。