仕事も忙しく、休日出勤も続いているため、さすがに少しお疲れ気味。 
今はあまりエンタメを楽しみたいって気持ちにはなれないし
テンションは高くなかったのだけど、朝イチでホットヨガに行き
それから豊橋に向かいました。

狂人なおもて往生をとぐ「狂人なおもて往生をとぐ〜昔、僕たちは愛した〜」
穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホールB列
14:00開演、15:55終演
作:清水邦夫  演出:熊林弘高  ドラマターグ:木内宏昌
出演:福士誠治、緒川たまき、門脇麦、葉山奨之、鷲尾真知子、中嶋しゅう
【あらすじ】 
 娼婦の館にたむろする若者 出(いずる)は、娼婦やそこに出入りする客たちに怒りやいらだちをぶつけ、挑発する。彼らは出をうまくあしらっているかに見えるが、実は、彼らはみな家族だということが次第に明らかに・・・・。精神を病んだ出は妄想の世界に住んでおり、その妄想に家族はつきあっているのだった。なぜ、彼は狂気に追いやられたのか。家族が抱える秘密とは・・・?



なんか不思議なタイトルだなあ…とは思っておりました。
舞台の真ん中には真ん丸のペンダントライトが低く垂れています。
まるで大きなパールの一粒ペンダントのような感じ。
下手には振り子時計があり、男もの、女ものの靴が置かれています。
全体に暗い。
話の内容・・もだけど、照明が。でもそれも一つの特徴ですね。

あと、ドラマターグがクレジットされている舞台って珍しい気がする。

感想は追記にて。 
 




これは、私が生まれるよりも前の1969年に書き下ろされた作品。
今回は以前に描かれたアングラ劇、小劇場演劇の戯曲を改めて
上演するという企画の一環なのだそうです。 

説明がある訳ではないので、会話についていくまでには少し
様子見・・と言う感じになります。
会話はありますが、その会話の内容がそのまま事実ではなさそう
と言う事は比較的早い段階で気づきます。
この人達の関係性、この場所、どういう状況なのか。
この場所が「娼館」でそこで働く人達や客だ、と言う設定で
家族ごっこをしている・・と言うのだけど、どうやら皆は本当の家族で
兄の「出(いずる)」(福士誠治)が言う内容に、他の家族が話を
合わせているだけらしい・・と。

まず象徴的なのは振り子時計ですね。電話ボックスのようになっていて
出がその中に(時間の中に)閉じこもっていたり、横に倒して
棺桶のように使われたりして、とても象徴的に使われています。
そして、ペンダントのような大きなライトは、振り子時計の「振り子」
として、時を刻んでいるようにも見えてきます。

狂気の中に逃げたように思われる出だけど、彼がきっかけに
なって、この一家の過去が徐々に暴かれていく様子は、出が
確信犯的にやっているんじゃないか?
事実を隠そうとする家族に対して、事実を暴露するために
この時をねらっていたのでは?と思えるほどです。
敬二(葉山奨之)の婚約者めぐみ(門脇麦)との会話では、
全く狂気を感じさせず、むしろ誰よりもしっかりして見えるので、
狂気を装っていたのでは?と言う気持ちが益々・・・。

出は兄弟である愛子(緒川たまき)と肉体関係を持ち
敬二は婚約者を殺害してしまい、もう後戻り出来ない状況に
陥ってしまい、「靴」を脱ぎ、放り投げる兄弟たち。
社会生活を送る事を放棄したメタファーのように思われたのでした。
でももし、出が確信犯だったら、何故こんな事をしたんだろう。
一家心中(未遂)まで追い込んだ、親に対しての復讐なんだろうか。

でも・・家族崩壊、一家心中した原因が痴漢って・・なんか情けない(笑)。

福士誠治さんはこれより前に「空ヲ刻ム者」で人のいい仏師見習い
として、ホッコリさせられた印象が強かったので、ここまで感情を
むき出しにし、周りも自分自身も傷つけている様子が、あまりに
落差が大きすぎて、「本当にあの時の“伊吹”を演じた人?」と
帰ってから録画しておいた「空ヲ刻ム者」の映像を観直しちゃった
ぐらいです、すごかった。幅の広い役者さんなんですね。
 
このタイトルは親鸞の
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」— 歎異抄』第3章より
から来ているものですよね、やっぱり。
一見簡単なような文章だけど、すごく奥の深い文章なんだ、
と言う事に今回初めて気が付きました。
結局誰が“狂人”で、“狂人じゃないのは誰なんだ”と言う事を考えだすと
何だかすごく哲学的になってしまう気がします。
結局・・・全員が“狂人”なんじゃないのか。
その事に気づいている(自覚している)かどうかが違うだけで。

華やかでも、スッキリ感もない(笑)作品だけど、心がザワッとする感じ。
すごく見ごたえがありました。
こういう作品が、東京ではなくても、豊橋で観られたのが嬉しいです。