この公演がどうしても観たくて、東京遠征を日帰りにして
夜行バスで帰ってきました。まあ、この公演スケジュールを失念して
遠征を組んじゃった私がいけないんですけども(笑)。
MONO42回公演
「ぶた草の庭」愛知芸術文化センター小ホール 2列
14:00開演 15:50終演
夜行バスで帰ってきました。まあ、この公演スケジュールを失念して
遠征を組んじゃった私がいけないんですけども(笑)。
MONO42回公演
「ぶた草の庭」愛知芸術文化センター小ホール 2列
14:00開演 15:50終演
脚本/演出:土田英生
出演:水沼健、奥村泰彦、尾方宣久、金替康博、土田英生、山本麻貴、もたい陽子、高阪勝之、高橋明日香、松原由希子
【あらすじ】
古民家を再生してつくられたカフェのようなスペース。庭にはぶた草が生い茂っている。そこでは楽し気な会話が交わされているが、彼らには共通に抱える事情があった。ウィルス性だということは分かるものの、詳細は解明されていない。突然死するこの病気は現在、日本とアジアの一部で患者が確認されている。病気にかかったと診断された人に対しては隔離政策がおこなれ、各地にそうした地域が点在している。ここもそんな地域の一つに建っているのだ。科学的な根拠は薄いが、どうやらぶた草が病気の進行を遅らせるらしい。高齢の人からかかるという話で、発見された当初は確かにその通りだったのだが、若年の患者も増えてきた。最近、数人の若い人がここに移送されてきた。家族や恋人と別れ絶望する彼らを、前からいた人々が温かく迎える。この共同体は比較的うまくまとまっているようだったが、病気の解明が進むにつれ、事態が変わって行き……
早朝帰宅し、朝食を摂って朝イチでホットヨガのスタジオへ。
その後で休日出勤なのですが、職場をちょっと抜けて劇場にGO!
そこまでしても観に行きたかったのです♪
劇場に入ると思わず「小さっ!」と言いたくなるコンパクトな舞台。
というか、MONOはセットを作りこむタイプの劇団なのに
舞台が小さいから、余計にそう思ったのと、最近はテレピアホール
が続いていたので、ある程度の大きさのセットを見慣れていた
からでしょうね。
でも東京だとスズナリ、大阪ならHEP HALLなので、これぐらいの
規模感が“正解”なんでしょう。
この劇場でMONOを観るのは「赤い薬」以来じゃないかしら?
感想は追記にて
早朝帰宅し、朝食を摂って朝イチでホットヨガのスタジオへ。
その後で休日出勤なのですが、職場をちょっと抜けて劇場にGO!
そこまでしても観に行きたかったのです♪
劇場に入ると思わず「小さっ!」と言いたくなるコンパクトな舞台。
というか、MONOはセットを作りこむタイプの劇団なのに
舞台が小さいから、余計にそう思ったのと、最近はテレピアホール
が続いていたので、ある程度の大きさのセットを見慣れていた
からでしょうね。
でも東京だとスズナリ、大阪ならHEP HALLなので、これぐらいの
規模感が“正解”なんでしょう。
この劇場でMONOを観るのは「赤い薬」以来じゃないかしら?
感想は追記にて
舞台を観て滅多に涙を流したりしない私ですが、素直に泣きました。
舞台の設定は改めて語られる訳ではないのですが、会話の中から
結構シビアな状況だという事が分かります。
ここはウイルス性「ヨコガワ病」に感染した人が隔離される島だということ。
そのヨコガワ病は「ガンジ山」にある研究施設が原因だと思われること。
そのガンジ山は移民が多く住み、少なからず差別を受けるエリアだということ。
病気が進行すると記憶障害を起こし、痣が紫になって死に至ること。
元々高齢者が感染していたのに、最近は20代の若者が感染していること・・・・。
今は元気だけど、いつかは死がやってくる病。治療方法もなく
その死がいつやってくるかは全く分からない。
そんな状況で明るく生きていくなんて、私には想像もできない。
自分の感染の原因を作った人を怨む気持ちだったりとか、
ガンジの人が受ける差別意識だったりとか、
リーダー役の山岸に対する想いだったりとか、それぞれに
思うところはあっても、上手くコミュニティとして成立していたんですよね。
それが、新しい感染者たちがやってくることで不協和音が生まれ
元々が抱えていた不満が少しずつ露呈してきて、最後は争い、
そして分裂してしまうコミュニティ。
この感じ、「橋を渡ったら泣け」でもあったなあ・・と思ったら
そもそも「橋を〜」も土田さんの作品だったんですよね。
そう言えば高台暁明(土田英生)や高台浩宇(奥村泰彦)が話すのは
名古屋弁のような三河弁のような、でも違うかな?っていう方言。
土田さんは大府出身なのでMONOでは名古屋弁や三河弁が
ちゃんぽんになったような、独特の方言を使う事があって
これを聞くと、MONOの舞台だなあ・・と思います(笑)。
でも、一番心にグサっと来たのが、高台暁明の“お別れの儀式”。
確かに直前のシーンで「覚えとらんのだわ」と明るく言っていたのに
あっという間に亡くなってしまったという・・・。
そこでナオ(松原由希子)が読み上げる、未来の(想像の)記憶の記録ノート。
“今日、ヨコガワ病の原因が究明された”“今日、島から出ることになった”
“島の仲間と沖縄旅行に行った・・・”。
これが効いたなあ・・・。
暁明は既に亡くなっているし、江里奈(もたい陽子)にも裕香(山本麻貴)
にも記憶障害が出ていて、もう、ここに書かれている事は絶対に
叶う事はないのだから。
でもそれ以上に泣けたのが、裕香に記憶障害が起きていると知り、
「何で言わなかった?」と言う山岸に「何で言わないといけないの?」
といった反応をする裕香。
一瞬「へ?」と思ったのだけど、これは裕香に記憶障害が始まっており
山岸の事を好きだった事すら忘れてしまっているのを表していると
分かった時です。一気に泣けてきてしまいました。
そうか、山岸の元を去っていたように思えたのは、そういう事か。
記憶を失った裕香だけでなく、山岸の受けたショックを思うと・・・。
こんな状況下で好きだとか言っても・・と気持ちをセーブしていた事を
きっと後悔したでしょうしね。
失った時間は二度と取り戻せないんだ、と実感した一瞬でもありました。
あのガンジの人たちがおやつに食べるという虫。
一度は記憶障害が始まりかけたのに、治まったように思える山岸。
それがあの虫に刺されたことが原因なのだったら、もしかしたら・・・と
少しだけ期待が持てるエンディングでした。
土田さんが「切ない設定の中でのコメディ」とおっしゃっていましたが
まさにそんな感じです。ご本人もインタビューでおっしゃっていましたが
エボラだったり、原発事故で未だに避難を余儀なくされている人や、
またそういう状況に対する国の施策のまずさだったり、現実の社会問題が
透けて見える所はあります。でもそこを強く訴えるというより、
そういう状況に居る“人”を描いた作品です。
だから、身近に感じられるし、温かさも感じられる。
「僕たちは仲良く、団結していなければいけないんだ、国はそれを
恐れているんだから」という山岸の隠れた信念が、実は土田さんが
言いたい事なんじゃないんでしょうか。
Twitterで本当に苦しんで書き上げられている過程を垣間見ているので
尚更この作品に対する思い入れを感じてしまいました。
役者さんや作家さんに観劇後にツイートをする事は滅多にないのですが
今回は思わず、土田さんにツイートしてしまいました(笑)。
基本的にMONOはハズレが無いと思っていますが、今回は特に
私の好みどストライク。笑えるし、切ないし、泣けるし、考えさせられるけど
どれも押し付けがましくない。多少無理をしてでも観に行ってよかったです。
次の43回公演は来年の2月〜3月頃とか。
今年の夏にある土田英生セレクションと共に、名古屋公演がある事を
切に祈っております・・・。
舞台の設定は改めて語られる訳ではないのですが、会話の中から
結構シビアな状況だという事が分かります。
ここはウイルス性「ヨコガワ病」に感染した人が隔離される島だということ。
そのヨコガワ病は「ガンジ山」にある研究施設が原因だと思われること。
そのガンジ山は移民が多く住み、少なからず差別を受けるエリアだということ。
病気が進行すると記憶障害を起こし、痣が紫になって死に至ること。
元々高齢者が感染していたのに、最近は20代の若者が感染していること・・・・。
今は元気だけど、いつかは死がやってくる病。治療方法もなく
その死がいつやってくるかは全く分からない。
そんな状況で明るく生きていくなんて、私には想像もできない。
自分の感染の原因を作った人を怨む気持ちだったりとか、
ガンジの人が受ける差別意識だったりとか、
リーダー役の山岸に対する想いだったりとか、それぞれに
思うところはあっても、上手くコミュニティとして成立していたんですよね。
それが、新しい感染者たちがやってくることで不協和音が生まれ
元々が抱えていた不満が少しずつ露呈してきて、最後は争い、
そして分裂してしまうコミュニティ。
この感じ、「橋を渡ったら泣け」でもあったなあ・・と思ったら
そもそも「橋を〜」も土田さんの作品だったんですよね。
そう言えば高台暁明(土田英生)や高台浩宇(奥村泰彦)が話すのは
名古屋弁のような三河弁のような、でも違うかな?っていう方言。
土田さんは大府出身なのでMONOでは名古屋弁や三河弁が
ちゃんぽんになったような、独特の方言を使う事があって
これを聞くと、MONOの舞台だなあ・・と思います(笑)。
でも、一番心にグサっと来たのが、高台暁明の“お別れの儀式”。
確かに直前のシーンで「覚えとらんのだわ」と明るく言っていたのに
あっという間に亡くなってしまったという・・・。
そこでナオ(松原由希子)が読み上げる、未来の(想像の)記憶の記録ノート。
“今日、ヨコガワ病の原因が究明された”“今日、島から出ることになった”
“島の仲間と沖縄旅行に行った・・・”。
これが効いたなあ・・・。
暁明は既に亡くなっているし、江里奈(もたい陽子)にも裕香(山本麻貴)
にも記憶障害が出ていて、もう、ここに書かれている事は絶対に
叶う事はないのだから。
でもそれ以上に泣けたのが、裕香に記憶障害が起きていると知り、
「何で言わなかった?」と言う山岸に「何で言わないといけないの?」
といった反応をする裕香。
一瞬「へ?」と思ったのだけど、これは裕香に記憶障害が始まっており
山岸の事を好きだった事すら忘れてしまっているのを表していると
分かった時です。一気に泣けてきてしまいました。
そうか、山岸の元を去っていたように思えたのは、そういう事か。
記憶を失った裕香だけでなく、山岸の受けたショックを思うと・・・。
こんな状況下で好きだとか言っても・・と気持ちをセーブしていた事を
きっと後悔したでしょうしね。
失った時間は二度と取り戻せないんだ、と実感した一瞬でもありました。
あのガンジの人たちがおやつに食べるという虫。
一度は記憶障害が始まりかけたのに、治まったように思える山岸。
それがあの虫に刺されたことが原因なのだったら、もしかしたら・・・と
少しだけ期待が持てるエンディングでした。
土田さんが「切ない設定の中でのコメディ」とおっしゃっていましたが
まさにそんな感じです。ご本人もインタビューでおっしゃっていましたが
エボラだったり、原発事故で未だに避難を余儀なくされている人や、
またそういう状況に対する国の施策のまずさだったり、現実の社会問題が
透けて見える所はあります。でもそこを強く訴えるというより、
そういう状況に居る“人”を描いた作品です。
だから、身近に感じられるし、温かさも感じられる。
「僕たちは仲良く、団結していなければいけないんだ、国はそれを
恐れているんだから」という山岸の隠れた信念が、実は土田さんが
言いたい事なんじゃないんでしょうか。
Twitterで本当に苦しんで書き上げられている過程を垣間見ているので
尚更この作品に対する思い入れを感じてしまいました。
役者さんや作家さんに観劇後にツイートをする事は滅多にないのですが
今回は思わず、土田さんにツイートしてしまいました(笑)。
基本的にMONOはハズレが無いと思っていますが、今回は特に
私の好みどストライク。笑えるし、切ないし、泣けるし、考えさせられるけど
どれも押し付けがましくない。多少無理をしてでも観に行ってよかったです。
次の43回公演は来年の2月〜3月頃とか。
今年の夏にある土田英生セレクションと共に、名古屋公演がある事を
切に祈っております・・・。