一人で観劇する時は開場時間前には劇場に到着しているのですが
直前まで友人と一緒だったり、電車を乗り間違えたり、電車も
事故でダイヤが乱れていたり・・・で、遅刻してしまいました。
最前列だっつーのに。

コペンハーゲン「コペンハーゲン」シアタートラム B列(最前列)
18:30開演、20:40終演
作:マイケル・フレイン  演出:小川絵梨子
出演:段田安則、宮沢りえ、浅野和之
【あらすじ】 
1941年秋、ナチス占領下のデンマーク・コペンハーゲン。ドイツ人の物理学者ハイゼンベルク(段田安則)は、かつて師とも慕っていたユダヤ系物理学者ボーア(浅野和之)とその妻マルグレーテ(宮沢りえ)を訪ねた。共に同じ研究の道を歩んできたはずが、今や敵対する国家に生きる2人の科学者。あの日、2人は何を語り合い、妻は何を見つめたのか…?のちの核開発競争を左右したという、史実にも残るあの謎の1日に大胆に迫る。



最前列なのに遅刻しちゃって(一番端っこの席だったのが救い)
おまけに小さな劇場で役者さん目の前で、静かな会話劇。
スミマセン本当に。足音響いちゃうし。

しかし、また物理かよ・・・と。
そんな話を一緒に上京していた友人に話したところ
「物理は哲学的だからね」と言われ、なんか妙に納得した私でした。

「入試で点数が取りにくい」という理由だけで物理の授業が無かった
学校出身ですので、物理って全く分からないんですけどね〜(苦笑)。
 


 
 
舞台のオープニングは重要だよな、とつくづく思います。
マルグレーテが「どうしてハイゼルベルクはコペンハーゲンに来たの?」
と言う問いに対してボーアが「どうでもいいじゃないか、もう
我々は3人とも死んだのだから」というやり取りを聞いた上で観るか
どうかで、本質的な捉え方が全く違ってきてしまうのですから。 
ま、この部分を聞けなかった時点で、終わってましたね(爆)。

そんな中、ザックリした感想だけ書いておきます。

殆どセットの無いシンプルな舞台に、3人がほぼ出ずっぱりの舞台。
物理の権威でもあるボーア(浅野和之) と、その妻マルグレーテ
(宮沢りえ)、そしてボーアの弟子であり、物理学者として活躍した
ハイゼルベルグ(段田安則)がひたすら語ります。

1941年、ドイツはデンマーク を占領し、デンマーク人だったボーア
夫妻の元に、ドイツ人のハイデルベルクが訪問してきたのは
事実のようです。その目的は何だったのか、何が語られたのか−。
史実としても明らかになっていないこの部分を、死者たちが
生前を思い出す・・という体で、いろんなパターンを演じてみせる。

ハイゼルベルクやマルグレーテは「〜だった」と状況説明の
セリフが多いのだけど、ボーアにはあまり無いな、という印象は
ありますね。
いずれにしても、理論物理学や不確定性原理、核分裂など
物理の用語がポンポン出てきて、(多少セリフをかむ所はあれど)
本当にすごいのですよ。出ずっぱりですし。

ちょっと偏屈な学者で、プライドも高くて、なかなか自分の非を
認められない、でも後進が気になるボーアを浅野さんが、
野心があって、要領のいい所があって、ちょっと本心が読みづらい
ハイゼルベルクを段田さんが、知的で冷静なボーアの妻を
宮沢りえさんがとても合っていました。

学者と芸術家って似ている所があるのかもしれませんね。
単純に「研究したい」「分析したい」という情熱というか、衝動
のような物を十分に感じることが出来ます。
そして、それは学者として共通するんだな、というのも面白い。
ハイゼルベルクが訪問してきて、お互い腹の内を探り合うような
居心地の悪〜い会話を続けていたのに、学問の話になると
一気に打ち解けた雰囲気になりますもんね。

そんな学者にとって「原子力」はきっと魅力的だったでしょうね。
当時ですら、それがどんな兵器になり得るか想定は出来ただろけど
その未知の可能性には抗いがたい魅力があったのでしょう。
「死者」としては、原爆で大きな被害が出たという事実を知っている
訳なので、その辺りの構造は舞台としては面白いなと思いますが。
戦後70年の今、この作品を上演する意味を考えてしまいますね。

もう少し物理の事が分かってたらなー。
ていうか、遅刻しなかったらなー(爆)。
もう一度、ゆっくり観たい作品です。