この作品は前回の上演映像をテレビで観た事がありますが、
生で観た事は無いんです。なので、生で観てみたいなーと思って。
今回はせっかく名古屋公演がありますが、3公演全部平日マチネという
会社勤めの人間を完全に無視したふざけた公演スケジュールで(笑)。

頭痛肩こり樋口一葉「頭痛肩こり樋口一葉」シアタークリエ 11列
13:30開演、16:20終演
作:井上ひさし   演出:栗山民也
出演:永作博美、三田和代熊谷真実愛華みれ深谷美歩若村麻由美 
【あらすじ】
明治の半ば、樋口の家は貧しかった。父や兄に先立たれ、仕方なく樋口家の戸主となった樋口家の長女・夏子(樋口一葉)は、母・多喜の期待や妹・邦子の優しさに応えようと、孤立奮闘する日々を送る。和歌で自活できないことを知り、小説で身をたてる以外に道はないと悟った夏子はただひたすら筆を走らせる。「ただ筆を走らせるためだけに身体をこの世におく」とそう心に決めた時、夏子の前に現れたのは、彷徨える幽霊の花螢だった・・・。


公演後、帝国劇場で16:40開演、なかなかタイトなスケジュール(笑)。
映像で観た公演とは主演が小泉今日子さんが永作博美さんに
替わっただけで、後は同じキャストなんですね、という事に
舞台を観てから気づきました(笑)。

今回、前列に座高が高く、かなり恰幅のいい男性が2名いらっしゃった
のですが、2幕に入る直前に「1幕の舞台はご覧になれましたか、
視界は問題ないですか」と係の方に声を掛けて頂きました。
過去にも同じような状況で観劇した事もありますが、声を掛けて
貰ったなんて初めてです。
私自身は真後ろに座っていた訳じゃないので「大丈夫です」と
回答をしたのですが、やはりお隣の方は観づらかったようで、
その事を伝えると、下に敷くものを渡してくれていました。
通路直前で、後ろに影響が少ない位置だったからこそ、の対応だと
思いますが、こういう対応はありがたいですね。



 
お盆の頃のお話なので、やはり8月の半ばに観るとちょっと
感慨深いものがありますね。
映像で観ていたとはいえ、やはり生で観ていないので、あまり記憶に
残っておらず、観ながら「ああそうだった」と思い出しながら
観ることになりました。 
主演以外のキャストが同じでしたので映像で観た時と比べても
大きな違いは無くて、その違いはやはり前回主演だった
小泉今日子さんと、今回主演の永作博美さんの違いかなぁ。

小泉今日子さんの一葉は、あまり厭世観を感じる事は無くて
どちらかというと「見返してやる」「なんとか小説家で自立してやる」
というハングリーさが感じられました。
それが彼女が狙っていたところか、彼女自身のもつ雰囲気なのか
正確な所は分かりませんが、恐らく後者なのかな、と。
永作博美さんにはそこまでのハングリーさは感じられず、
薄幸さというか、耐え忍んで歯を食いしばっているような空気を
感じました。

夏子だけには花蛍が見えたのは、彼女が“死”に近かったから、
という事なんでしょうが(実際に結核で若くして亡くなっていますし)
それは彼女が現世に対して期待ができなくなっていたからじゃないかな
と思います。何をやっても上手くいかない、常にお金に困窮し、
着物が古着だという事で、仲間に馬鹿にされ、なかなか作品自体は
評価されない。恋愛も上手くいかないし、親も世の中も自分の
考えとは大きく違っている。
ひいては、それが死に対する憧れになっていたのではないかな。
本気で死にたいと思っていたのかな、私個人としては少し疑問。

花蛍を演じた若村さん、相変わらず軽やかに幽霊を演じてましたね。
周りの方もよく笑っていました。
お綺麗な方ですから、あのお衣裳が似合いますしねぇ。

そしてやっぱりスゴイのが熊谷真実さん。
本当にふり幅の広い役を演じていらっしゃいますが、身を落としてから
の振り切れた、でも少し以前の姿も残している(それが哀しい)し。

夏子の母を演じたのが三田和代さん。
この母親役が、多分要になっているんじゃないかな。
戸主であれば家名を大切にしなければならないと説き、女性は学問など
不要だと言って夏子に学校を辞めさせたり、世の中に恥ずかしい
ような人との付き合いは止めろと恋愛にも口を出すし、夏子に
世間体を大切にした“自分自身を殺す”ような生活を強いた人ですし。
そういう意味では、この時代の象徴かもしれませんね。
頼られると金を貸したり、外に向けていい顔ばかりして結局
家族を苦しめていた人でもあるんだよな。
悪意がないから、こういう人は一番面倒なんですよね(笑)。
でも晩年、夏子の新盆で見せる顔も、自分が御霊様になった後の顔と
いずれもみせる表情が違って、すごいなぁと思います。

今回改めて樋口一葉の半生を確認してみましたが、概ね事実に
近い内容なんですね。
非常に多くの引っ越しをされ、生活に困窮して駄菓子屋をやったり。
ラストに妹のくにが重い仏壇を背負って歩くシーンがありますが
結局彼女が、亡くなった人も含めてすべてを背負った人生を
歩んだという事なんでしょうね。
実際に夏子の死後も、一葉の草稿・日記等の保存や整理・出版に
尽力したそうですから。

笑えるコミカルなシーンも多いけど、しんみりと考える事もできる
上質な舞台という印象でした。