今回の遠征2本目はこちら。
堤さんと松雪さんていったら、吉原御免状コンビだし(笑)、なかなか
魅力的なキャストです。

るつぼ「るつぼ」シアターコクーン XC列
18:30開演、21:45終演
作:アーサー・ミラー  演出:ジョナサン・マンビィ 
出演:堤真一、松雪泰子、黒木華、溝端淳平、秋本奈緒美、大鷹明良、玉置孝匡、冨岡弘、藤田宗久、石田登星、赤司まり子、清水圭吾、西山聖了、青山達三、立石涼子、小野武彦
【あらすじ】 
農夫プロクター(堤真一)と道ならぬ関係に陥った美少女アビゲイル(黒木華)は、プロクターの信心深い妻エリザベス(松雪泰子)に罠を仕掛ける。悪魔祓いの権威として招かれたヘイル牧師(溝端淳平)は、次第に法廷のあり方を疑いだす…。 




そもそも「るつぼ」という作品は新国立劇場で上演された際に
観ようかどうしようか悩んだんですよね。
そして今回、このキャストでの上演なので、観ない理由は無い。







怖いよねー、何が怖いって、これが17世紀末の米国でも起きた
セイラム魔女裁判の史実をモデルにして書かれた脚本だっていう事。
つまり、実際にこういう事が起こったという事ですものね。
(セイラム魔女裁判では200人近くが告発され、20名以上が死亡)

幕があくと、舞台の中央に炎。わー、こんな大きなリアル炎が使えるんだ
という事に驚き、その炎を中心に踊る女性達。
“踊り”と言っても、明るさは全くなく怪しげな、宗教的な雰囲気を醸し
出していて、でも美しかったりもする。
この最初の演出がまるで絵画のようでもあり、今までにあまり
観た事が無い印象です。演出家が海外の方だからかしらね。

そして、客席から降りてきた牧師パリス(大鷹明良)がその様子を
見つけ、散り散りになる少女と倒れこむ少女−。
場面は変わって、その倒れこんだ少女を介抱するアビゲイル(黒木華)
にパリス牧師が詰め寄る。「あそこで何をしていたんだ」と。
その質問に答えるアビゲイルを見て「ああ、この子はしたたかな子だ」
という直観が働くとともに「いるよね・・こういうタイプの子」とも思う。
自分が相手からどう思われるかを常に計算し、自分が有利になる
言動が出来る人。
知らぬ間に同性の集団のリーダーになり、そのグループの
規格から合わなくなった子が、いじめられるように仕向ける子。
そして・・それらが自分の仕業だと、疑われない自信があるんだよね。
で、概ね男性たちはその子の本性に気が付かない・・と(笑)。

女性って、事実と違う事であっても、事実だと本気で思い込める
特性があるという話を聞いたことがあるし、理解出来る所もある。
少女達は「悪魔」や「魔女」の存在を(アビゲイルから報復される恐怖
がキッカケであったとしても)本気で信じていたんだよね、多分。
本気で信じているから、卒倒もするし、それを見た大人たちは
彼女たちを通して「悪魔」や「魔女」を信じてしまう。

私自身は舞台を観ていても「悪魔」も「魔女」も彼女たちにとっては
「事実」かもしれないけど、それは客観的事実ではない、
という事が十分に分かっている。
なのにもかかわらず、司法の場でも彼女たちの発言は覆らない。
まるで蟻地獄のようにプロクター(堤真一)とエリザベス(松雪泰子)
は深みにハマってしまい、裁判って何なんだ・・・という無力感に襲われる。
恐らく、この感覚は、後半のジョン・ヘイル(溝端淳平)に近いかもしれない。

仲間外れが怖くて、再び「悪魔が!」と叫んでしまうメアリーや
半ば強引に逮捕者を増やしたために町が荒廃し、世論が厳しくなり
自分たちの過ちは認めないけど、軌道修正をしたい・・と姑息な
方法を考えるダンフォース副総督(小野武彦)は、今でも同じような
事が起こっており、残念ながらどの世にも存在する事なんでしょうね。
マッカーシズムと言うと壮大になっちゃうけど、世論操作であったり
大衆心理の怖さと考えれば、今でも十分危険性がある訳だし。

一番印象に残ったのは、赤いドレスが炎のようでも、血のようにも
見え、かつ彼女の長い髪が情念のメタファーのように思えた
黒木華ちゃん。メジャーデビュー当初から知っていますが、何だかとても
堂々としていて、怖くて、体温が低そうな感じで、すごく印象に残りました。
もともと、これ程の大人数を死に至らしめようと思っていた訳ではなく
プロクターをエリザベスから奪いたかっただけのはず。
プロクターが連行される時、プロクターの方に手を差し出したアビゲイル
の視線がまた何とも言えなかったですね。
「こんなはずじゃなかったのに」と思うと同時に「自分のものにならない
のならば・・・」と思う気持ちが交錯していたのではなかったのかな。

堤さんのプロクターは後半になればなるほど良かったですね。
そもそもなんで浮気しちゃったかなぁ(笑)。
やっぱり堤さんは“強い”印象があるので、闘ったり、大きな決断をしたり
というシーンが似合う気がする。

でも全編を通して、怒りのような感情を受けたこの作品。
プロクターの選択やエリザベス、レベッカが作者の希望なんでしょうね。
新国立のほうも観たかったなー、原作も読んでみたいな。
あと、もう少し宗教(キリスト教、特にピューリタンの特徴とかね)の
知識があると、受ける印象も違ったのかもしれないな、これは海外戯曲を
観る際の私の大きな課題でございます。