奇ッ怪シリーズももう3作目ですね。
1作目の面白さったら、今でも鮮明に覚えているぐらいです。
この秋はイキウメの劇団公演もありませんし(伊勢さんと岩本さんが居ない
劇団公演は今は観たくないし・・)こちらも楽しみにしていました。

遠野物語「遠野物語・奇ッ怪 其ノ参」世田谷パブリックシアターC列
13:00開演、15:00終演
原作:柳田国男 (「遠野物語」角川ソフィア文庫)
脚本・演出:前川知大
出演:仲村トオル、瀬戸康史、山内圭哉、池谷のぶえ、安井順平、浜田信也、安藤輪子、石山蓮華、銀粉蝶
【あらすじ】 
社会の合理化を目指す「標準化政策」により、全てに「標準」が設定され、逸脱するものは違法とされた。首都圏は標準に染まり、地方も固有の文化を失うことで衰退しつつある。作家のヤナギタは、東北弁で書かれた散文集を自費出版したことで、任意同行を求められた。方言を記述したうえ、内容も迷信と判断され、警察署の一室で事情を聞かれている。迷信を科学的に解明することで著名な学者、イノウエが召喚され聴取に加わった。ヤナギタは、書物は標準語と併記のうえ、内容も事実だと主張する。それはある東北の青年から聞いたノンフィクションであり、流行りの怪談とは違うと話す。しかしイノウエは、書かれたエピソードは科学的な解明が可能なものに過ぎないが、奇ッ怪なように書くことで妄言を流布し、迷信を助長するものであると批判する。散文集(「遠野物語」)のエピソードを紹介しながら、ヤナギタとイノウエは真と偽、事実と迷信、この世とあの世といったものの、間(あわい)の世界へ迷い込んでいく。 



劇団公演ではないので、劇団からのキャストは安井さんと浜田さんのみ。
美術や照明、音楽もいつものイキウメとは違っています。
イキウメの公演じゃないので、パンフレットが売られていたのが何だか新鮮でした。


 
 

舞台の上には小さな八百屋のステージが上に載っている状態。

あー、これ最前列でなくて正解なパターンだ。
最前だと見上げる形になるから、観づらい上に疲れるやつ。

 

そのステージには和紙が敷いてあり、まるで昔の取調室にあるような
簡素な机とパイプ椅子が2脚。(実際に取調室だったけど)

銀色に細い柱が建っていて上がつながっている。部屋の片隅を透視して

いるかのような感じ。ガムランのような音楽が流れて、 不思議な雰囲気を
醸し出しているのですが、ライトがあたり、背景にはまるで森の中の
ような影が投影されている。
・・・・ん?ちょっと待って。これ・・・ただの影じゃなくない?

まるで心霊写真のように、あちこちにムンクの“叫び”のような顔らしき
ものが浮き出ていて、中には犬のような獣のような顔まである。

薄気味悪ぅ・・。

 

そして舞台上手からイノウエ(山内圭哉)が登場し、客席に語り掛けて

幕が開いていきます。

「どこから来はったの?」とか関西弁を使って客席に語り掛け
(長野から来た人でした)霊感のある人の事とか方言の話とか、
まるで雑談のようにサラっと話す。

「これ台本ですからね」と言いながら、どこまでが台本でどこからが
山内さんの言葉なんだろうと思う程自然なんですよね。

でも、実はここから静かに舞台は「奇ッ怪」の世界に漕ぎ出している
仕掛けになっていて、この話の中で舞台の背景がさらっと語られてます。

 

イノウエは霊的存在を信じない、むしろ嫌悪するタイプであること、

方言(お国言葉)を使った方が気持ちが伝わりやすいのに、今は“標準化政策”

のために、標準語を使う事が求められる世の中であること・・・。

そしてイノウエが向かっていたのは取調室。被疑者はヤナギタ。容疑は

遠野物語の無許可出版と、迷信を流布した“標準化政策”の法律に触れること。

イノウエは専門家として意見するためにやってきていたのでした。


ここで何となくピンときました。

「遠野物語」そのものについては、かなり忠実に取り扱っているけれど、

登場人物は実在の人物に多少重なるものの、基本的には全部フィクションで、

そこを接合点としてこの「奇ッ怪」が描かれているんだ・・・と。

 

遠野物語は遠野に住む佐々木喜善という人から聞き取った話を
まとめた本であり、初版は350部しか印刷されていない事も、「事実」
として書かれている事も、現実と一致します。

語られる話も、私は遠野物語を全部読んだわけじゃないですが、概ね

遠野物語に描かれた通りの内容だと思われます。病気になって神社まで

飛び跳ねていった話(97話)も、座敷童の話(18話)も、豪農の一族が
女の子一人を遺して毒キノコを食べて没落した話(19話)も、小正月に
山の神に出会った子どもの話(102話)も、佐々木の祖母が通夜の席に
現れた話(22話)もありました。

 

ただ、ヤナギタは柳田国男ではない。作家の柳田国男はどちらかというと

国家権力側にいたエリートであり、遠野物語の出版に際して逮捕されたりは

していない。他の登場人物にもそれは言えて、ササキと違って、語り部
だったのは祖母ではなく祖父だったようだし、水野葉舟はミズノと違って
ちゃんとした(?)歌人を経てり、文学者になった人。ササキをヤナギタに
紹介したのがミズノだった、というくだりは同じですけどね。
またイノウエと同じく井上円了も迷信を否定する側ではあったようですが
検閲官などはしていませんから。 

 

取調室での様子が軸になりながら、入れ替わり立ち代り「遠野物語」を

演じていく。これ、岩本幸子さんだったらなぁ・・と思うシーンが

幾つもありました。彼女の声だともっとフィットしただろうなあ、とか(涙)。

現代の取調室と、遠野物語の間を行ったり来たりしながら、徐々に

観ている私も「遠野物語」側に引き寄せられていく感覚。


上演前に前川さんが「今にも通じる話」とインタビューで答えていたので
原作を読んだら何か分かるかと思ったのですが、実際に遠野物語を
読んでも、なんだかその点が理解できなかったんですよね。

でも舞台を観てなんか分かった気がします。 

 

序文に書かれた「平地人を戦慄せしめよ」という一文。

この“平地人”は、恐らく都会に住む人の事を指しているのかな、と

舞台を観る前から思っていたし、恐らく実際にそうなんだろうと思います。
でもこの「奇ッ怪」においては、現代の私たちが「平地人」なのではないか。

舞台の中では「社会のひずみ」と言っていたけど、合理化だったり
IT化が急速に進み生活のリズムが早まり、時間的にも心理的にも
余裕がなくなっている。
 

妻が失踪し、「神隠しに逢ったと思って」と言われたことに納得がいかず

合理的に、ひたすら科学的根拠を求める行動に出るようになったイノウエ。
これがいわゆる「平地人」だとしたら、遠野の人は「見えないもの見る力」
を疑わなかったり、自分たちの理解を超える事象が起きた時に「神隠し」
とかの超常現象で心の隙間を埋めようとする。生死も含めて色々な事に
垣根を持たない。
どちらが良いか、悪いか・・ではなく、祖母が亡くなり、ヤナギタから
「(祖母の霊が)山へ行くって言っていた」と聞いたときの納得した表情は、
いいなあと思うんですよね。「死因は心筋梗塞でした」と言われても

ああいう表情にはならないんじゃないかなーって。


「残していかねばならない」「伝えていかねばならない」

これは前川さんや奇ッ怪としてのメッセージなのかな、と。

劇場HPの前川さんの文章を読んで、今までの「奇ッ怪」シリーズの
答え合わせをしたような気持ちになりました。


瀬戸君は笑っちゃうぐらい顔が小さくて。

でも、東北のお国言葉がとってもお上手で、どこ出身かしら?と

真剣に思ったほどです。まるで憑依したかのような演技には目を見張りましたしね。

 

山内さんは、奥さんの話をするとき、思わず胸がつまってしまって。

そうか、この人をここまで頑なにさせたのには、そういう背景があったのか・・と。

飄々としつつ、揺らいでいる姿が絶妙。

銀粉蝶さんは、話に説得力があって良かったです、ほんと。

 
 

せっかく今回「座敷童」の話題に触れたのだから、是非また
「見えざるモノの生き残り」を再演しようよー()

そしてやっぱり今回も出てきた“金輪町”に一人クスリと笑った私でした。

そして、安井さんはパクパクお稲荷さん(らしきもの)を 食べていたのが
印象に残りました(笑)。