世の中の「盆休み」より少しだけ早めの私の夏休みはこちらから。

プレイヤー「プレイヤー」シアターコクーン2階B列
14:00開演、17:00終演
脚本:前川知大  演出:長塚圭史
出演:藤原竜也、仲村トオル、シルビア・グラブ、峯村リエ、高橋努、村川絵梨、長井短、大鶴佐助、本折最強さとし、櫻井章喜、木場勝己、真飛聖
【あらすじ】
行方不明の女性、天野真が遺体で見つかった。死後も意識として存在し続けることに成功した彼女は、友人達の記憶をアクセスポイントとして、友人達の口を借りて発言するようになっていく。事件を追っていた刑事、桜井を前に、天野真を死に導いた環境保護団体代表であり瞑想ワークショップの指導者、時枝は、これは世界を変える第一歩だと臆面もなく語る。死者との共存が、この物質文明を打開するだろうと。カルトとしか思えない時枝の主張に、桜井は次第に飲み込まれてゆく。


「プレイヤー」を上演した頃はまだイキウメを観始めていない頃。
映像にもなっていないので全く想像できないですが、大好きな
作家の作品で、役者も豪華・・となれば、観ない選択肢はない。
どうやら劇中劇で演じられている作品が、イキウメの過去作品
の内容のようですね。
前川さんの作品なら安心できるし。(とはいえ「ウラノス」とか
「ミッション」とかイマイチだと思ったありますけどね)
平日マチネですが立ち見もたくさんいました。

感想は追記にて。
とはいえ、いろんな細かいトラップがいっぱい仕込まれていそうで
1度観ただけでは、ちゃんと理解したかどうか・・。
何度も観てみたい作品ですし、感想も偏ったものしか書けない
野ではないかと思いますが。


 
シンプルなセットで、ラジオのオンエアの様子から舞台は始まります。
あれ、劇中劇の話じゃなかったっけ?と思っていると、そのオンエアの
様子そのものが劇中劇だったことが分かります。

私にとっては、“穂の国とよはし芸術劇場PLAT”を連想させるような
地方公演でのお話です。(決して豊橋がモデルではないと思うが)
有名俳優から、学生までが参加する新作の上演を目指して、稽古中。
その地方劇場で上演される予定の作品の名前は『PLAYER』。

この舞台は非常に入れ子構造が巧みというか複雑です。
演技をする人という意味での「プレイヤー」と、死者の声を再生する
媒体としての「プレイヤー」。
舞台稽古をする状態と、その舞台作品そのもの。
最初は明確に違いが分かっていたのですが、まるでその境目が
ボケるというか、溶け合うように曖昧になり、浸食されていくよう。
「play」という単語には「掛ける」とか「ふりをする」「付け込む」
という意味もあるようなので、そう考えだすともっと世界が広がり
自分の中でも収集つかなくなりそうです(笑)。

数日経って、感想を書こうと思い出しても「あれは・・どっちの
話だっけ?」と混乱してしまうのだけど、でも「分からなかった」
という印象ではないんですよね、不思議。

<劇中劇の内容>
行方不明となった「天野真」が死体で見つかった事をきっかけに
生前の天野真を知る刑事の桜井は、環境保護団体の代表でもある
時枝(仲村トオル)に近づき、「サトリオルグ」と関わる事になる。

この環境保護団体は、増えすぎた人口対策の為に自ら肉体を捨て
「意識」として存在する・・という事が解決策だと、信じていて
それを実践しようとしている。
最初は信じていなかった桜井も、様々な現象を目の当たりにして
少なからず影響を受けているのが、傍目にも分かるようになる。

そしてその「意識として存在を続ける」事を否定する刑事仲間の
前で、サトリオルグの面々は自ら命を絶ってみせるのだった−。


この舞台はプロデューサーの知人であった脚本家が遺したもの。
亡くなってしまい、これを上演するのがプロデューサー神山
(峯村リエ)の願いだったこと、この脚本家が死亡した時に
「無職」と表記された事への無念、内容としては未完であるが
が敢えてそのままにし、稽古の中で練り直そうと考えている・・と
伝える部分が、ウマイな、と思います。

そうする事で、役者達が脚本家に持つ感情がぐっと近まる。
そして、未完の部分を考える事で、役者たちが益々舞台の世界に
没入していく。これが後々の重要な伏線になる訳で。
そもそも「劇中劇」という設定がウマイですよね。
演出家が脚本をさまざまに解釈して、脚本通り演じさせる。
自然と作品の中に取り込まれていく環境が整っている訳ですから。
また役者も脚本について、真摯に向き合えば向き合う程
その世界に取り込まれやすくなる−。

実際に、最初は「はい、ここまでが劇中劇」という区切りが
とてもはっきりしていたのに、途中から演出家(真飛聖)が
演技の中に入り込んできて、(またそれが自然で)その頃から
劇中劇と、現実の境目があいまいになっていってしまう。

ただ、一方的にそうならない為に、演出助手(安井順平)だけが
冷静に「現実」の同じ位置に立ち続けている感じ。
桜井の先輩刑事も「現実」世界に居るのですけど、どちらかと
言うと、観ている私たちと同じ所にいて、一緒に惑わされている
という感じです。

終盤。脚本が無い部分までアドリブで進めていく。
この辺りからはもう、怒涛の流れです。
サトリオルグのメンバーがそれぞれ、自分のプレイヤーになる
人への手紙を持ち寄り、自らの命を絶つ。
それを見て、「集団自殺だ」「自殺ほう助だ」と先輩刑事は
勢い余って(?)時枝をなぐり殺してしまう。
いや、プレイヤーになって時枝をなぐり殺したのではないか。
どういう事だ、時枝が死んだら意味がないんじゃないか?
死んだ人たちは大事なプレイヤーを失ってしまうんじゃないか?
すると、死んだ人たちは実は死んだ後に後悔して、時枝を
殺させたのか?等、頭の中はグルグルになっていきます。

そこに、後ろにあったラジオブースの箱が並べてあった椅子を
なぎ倒して、前に迫ってくる。この様子がとても象徴的。
そして、死んだと思われた桜井は死んでおらず、語り出すのです。
「今すぐ通報する。僕が時枝さんを殺したとね。君は犯人を逮捕
したお手柄だ。記者会見もあるだろう。」と。
「記者会見の場で、君は時枝さんのプレイヤーとなって語るんだ」とも。
ああぁぁぁ、そういう事かぁぁ・・・。

私は気づかなかったのですが、所々で役者さん達がノートを
見るシーンがあったり、それを見て表情を変えたシーンがあった
そうです(と一緒に観た友人が言っていた)。
ラジオブースで桜井が眺めていたノートがそれです。
きっと周到に用意された流れがあったという事でしょうね。

でも、衝撃はその後にやってきました。
桜井はプロデューサーに向かって「これ、ネットにアップして」
と言い、プロデューサーが懐かしげな、感極まった表情で
その桜井を見ているじゃないですか。
あぁぁぁ、そういう事だったのかぁぁぁぁぁぁ(再)。
桜井は時枝のプレイヤーではなく、作者のプレイヤーだったのか。
「死ねなかった」のではなく、死ななかった。
そもそも桜井は手紙を持ってきていませんでしたから、これも
全て計画済の内容だったのでしょう。やられたぁー!
野田秀樹さんは天才だと思っていますが、前川さんもまた
全くタイプの違う天才じゃないか、と。(贔屓目です(笑))
終った時にはゾワっとしましたよね、思わず。

「プレイヤーが2名以上居る所でマコトは出てこられる。
だったら、散歩している間は、マコトが散歩させているようなモノ
ではないか?犬が交通事故にあったのもそれが原因ではないか?」
という会話のロジックも、「すげー発想だ」と思いましたしね。
ほんと、さすが哲学科出身な脚本家だけあるわー。
「意識」とか「概念」とか、「存在」とか、普通はここまで扱えない
んじゃないだろうか、と思いますもん。

そして「信じる」事の強さと怖さも見せつけられました。
人間の脆さもね。

どの時点から桜井はプレイヤーだったのだろう。
演出家は脚本家のプレイヤーだったという事なのか?
プロデューサーは全てを織り込み済みだったという事なの?
だとしたら、この計画は誰が考えたんだろう、脚本家だよね。
どうやってそれをプロデューサーに伝えたんだろう、
プロデューサーもまた脚本家のプレイヤーなのだろうか。
そのノートはいつから出現していたんだろう。
観た後に、次から次へと疑問が湧き出てくるんですよね。

ああ、全てが分かった上でもう一度観なおしてみたい。
思わず静岡に行きそうになってしまったけど、他の舞台の観劇予定が
入っていたので、踏みとどまることが出来ました(笑)。
収録も入っていたようなので、WOWOWでもNHKでもDVDでも
何でもいいので、映像でもう一度観られるのが待ち遠しいです。