今回の遠征が金曜~土曜だったのは、日曜日にこの豊橋公演の
チケットを取ってしまっていたからでした(笑)。

この熱き私の激情「この熱き私の激情
それは誰も触れることができないほど激しく燃える。あるいは、失われた七つの歌」
穂の国とよはし芸術劇場PLAT主ホールB列
13:00開演、14:45終演
原作:ネリー・アルカン  翻案・演出マリー・ブラッサール
出演:松雪泰子、小島聖、初音映莉子、宮本裕子、芦那すみれ、奥野美和、霧矢大夢




劇場に入ると、大きなガラスに客席が映っています。
何となくアートな作品のニオイがするぞ(笑)。
この熱き私の激情





舞台上には横に4つ、上に2段重ねられた8個のキューブが
積み重ねられたようなセットが現れます。
それぞれに部屋になっており、内装が全く違っていて、一つの部屋には
2人以上の女優が居る事はない。

もうね、この段階でこの舞台は「ああ・・」ですよ。
2列目だったのですが、上手の端っこだったものですから、
下手側に行けばいくほど、部屋の中やその中に居る女優さんが
見えないのです。
総じてアーティスティックな舞台で、文章で理解するだけでなく
感性に訴えてくるような演出になっているのに「見えない」って。


この舞台の主役はネリー・アルカン。
ちょうど彼女の映画が上映していたので観てみたかったのですが
タイミングが合わずに断念。
このネリー・アルカンの色々な側面を複数の女優が演じ、
抜け出る事の出来ない小さな部屋の中で、閉塞感を醸しだします。

[幻想、イメージと肉体のこと]を表す幻想の部屋の女の芦那すみれさん
[宇宙、星、自然について]を表す天空の部屋の女は小島聖さん
[家族の絆と血縁のこと]を表す血の部屋の女は霧矢大夢さん
[死の魅力について]を表す影の部屋の女は松雪泰子さん
[信仰と狂気について]を表すヘビの部屋の女は宮本裕子さん
そして、唯一動けるのはダンサーの奥野美和さんで、彼女は
放浪、孤独、苦しみを演じながら、各女優の間を行き来して
彼女たちとの唯一の接点となるんですね。

確かに、特異な出自の方のようにも思えますが、特に経済的に
問題があったりするような家庭ではなく、親も存命ですし、
大学まで出ていて“普通”な面も多く持っていた女性のようです。
両親は離婚しているようですが、世の中の離婚率を考えると
それ程珍しい訳でもないでしょうし。
舞台を観る限りですと、父親との関係に問題があったようですが
どちらかと言うと過干渉ではあったようですが、後で調べると
DVなどを受けていたという訳でもなさそうで。
(わたしは性的虐待でも受けていたかと思いました)

ただ、非常に「どこにももって行き場のない気持ち」を
自分自身で持て余している人だった事は十分に伝わってきます。
常に「求めて」いる人だったのかな、とも思いますね。
言い方を変えると「失う」事を恐れている人なのかも。
それは、若さや美しさという自分が失おうとしているもの
に対する執着や、「愛」みたいなものを必死で追い求めている
というか。

ここまで自意識過剰な人は周りにはいませんが、でも
生きるのが辛いタイプの人でしょうね・・。
自分で自分の生き方を狭めてしまっているような痛々しさがあって。
その自分の気持ちを持て余し、その答えを「死」に求めて
しまったのも、何となく納得感はあります。

実在のネリー・アルカンも写真を拝見しましたが本当に美しい。
エスコートガール(高級娼婦)をしていた、と言う事ですが
(「ティファニーで朝食を」の主役の女の子も、高級娼婦
っていう設定でしたよね)この職業のカナダにおける位置づけが
どういうものなのか、興味があります。

女優の皆さんのキャスティングも面白いです。
一人の女性の違う内面を別々の人が演じるという事で
全く違うビジュアルや雰囲気の女優さんが集まっていて、
でも、同じ人を演じているんですよね。
個室に入りっぱなしなので、女優さん同士のコンタクトは
イヤモニの音だけだったという事ですから、あれだけセリフを
きっちり合わせるのは、本当に凄い事だと思います。

多分に概念的な舞台だったので、「理解出来た」と言うには
程遠いですが、理解するよりも「感じる」舞台だったのかも、と
自分自身を納得させたのでした(笑)。
それにしても、松雪泰子さんのムダな肉の全くない背中の
綺麗な事と言ったら!