遠征2本目はコクーン。
1年のうち一番通ったのがコクーンだったという時期も
あったというのに、今年はこれで4回目。
あれ・・そんなに少なくない(笑)?

民衆の敵
Bunkamura30周年記念
シアターコクーン・オンレパートリー2018
「民衆の敵」シアターコクーンA列(3列目)
17:30開演  19:50終演
脚本:ヘンリック・イプセン  演出:ジョナサン・マンビィ
出演:堤真一、安蘭けい、谷原章介、大西礼芳、赤楚衛二、外山誠二、大鷹明良、木場勝己、段田安則、内田紳一郎ほか
【あらすじ】
温泉の発見に盛り上がるノルウェー南部の海岸町。その発見の功労者となった医師トマス・ストックマン(堤)は、その水質が工場の廃液によって汚染されている事実を突き止める。廃液は妻カトリーネ(安蘭)の養父モルテン・ヒール(外山)が経営する製革工場からくるものだった。トマスは、配管を引き直すよう、実兄かつ市長であるペテル・ストックマン(段田)に提案するが、ペテルは工事にかかる莫大な費用を理由に、汚染を隠ぺいするようトマスに持ち掛ける。事実を知らせるべく邁進していた、新聞記者のホヴスタ(谷原)と若き記者ビリング、市長を快く思っていない印刷屋アスラクセン(大鷹)は、当初トマスを支持していたが、補修費用が市民の税金から賄われると知り、手のひらを返す。徐々にトマスの孤立は深まっていく中、市民に真実を伝える為に集会を開くが、そこで彼は「民衆の敵」であると烙印を押される・・・。




コクーンは久しぶり!と思ったのですが、改装工事で閉館
していたんですってね。この作品が工事後最初の公演だったとか。
そりゃ、公演自体が少なかったのであれば、行く回数も
多くないのは仕方ないですね(笑)。
すっかりコクーンに疎くなっちゃったなぁ・・・。





この作品の演出家は、ジョナサン・マンビイ。
以前同じくコクーンで上演された「るつぼ」を演出された方ですね。
そう考えると、コロスの使い方などがちょっと似ている感じがします。
イプセンと言うと、どうしても「人形の家」や「海の夫人」のイメージが
強く、女性が主役の舞台をイメージしてしまっていましたが、
今回は全く違う内容の作品でした。

舞台は堤さん演じるトマスのダイニング。
最近は小劇場の作品を好んでみているため、この奥行のある舞台を観て
何だか意味もなく感動してしまいました。
ただその舞台の周りにはパイプが張り巡らされており、舞台のツラの所には
石が沢山落ちています。これは後の展開のメタファーにもなっていますね。
この家にはトマスを慕って、さまざまな人達がやって来ている様子。
どこかリベラルな雰囲気が漂う、サロン的な家っていう感じでしょうか。
市長をしている兄のペテルもやって来ますが、どうもこの兄弟、
上手くいっていなさそう。・・というより、兄が弟の事を快く思って
いないような所のある、ちょっと功名心の強い感じの人、という印象です。

トマスはひたすら郵便物の到着を待っているのですが、その郵便物
というのが、温泉の水質検査の結果だったのですね。
街は温泉で成り立っているような所なのに(だからこそ、その温泉を
発掘した立役者の一人であるトマスは尊敬を集めているのだけど)
その温泉が汚染されていて、健康被害が出ている、と。
トマスは「凄い発見だ」「町の人達から感謝されるに違いない」
「パレードなんかはしなくてもいいぞ」と有頂天。

は?どこをどうしたら、そういう発想になるのかしら?
恐らく、とても純粋なんでしょう、そして世の中の事を知らなさすぎる。
観ている私がイラっとするぐらいに(笑)。

温泉が健康被害を引き起こしているなら、今のままでは客は来ない。
とすれば、街の経済が立ち行かなくなる。改修工事だってすぐに
終わるものではないだろうし、風評被害だってあるでしょうに。
新聞記者や家主組合の組合長などは、公表に乗り気ですが、
でも、事前にその事実を知らされた兄であり市長はその結果を
握りつぶそうとします。
当然、マスコミなどは反発するのだけど、市長は「配管を引き直す
工事費用は当然税金で賄う事になる」と伝える辺り、明らかに
トマスよりも1枚も2枚も上手なんですよ。

「自分たちが税金を負担する」「温泉という観光資源が使えなくなるかも」
という利害関係を目の当たりにして、一気に手のひらを返すように
市長側につく人々。社会正義も、市長に対する反発も、関係ない。
「自分は正しいことをしている」と信じて疑わないトマスは集会で
自分の主張を訴えようとするのだけど、市長や家主組合の組合長
などのほうがやっぱり1枚上手で、なかなか思いが伝わらず、
その伝わらない事にいらだち、「民衆は原材料だ」とか、民衆を
野良犬にたとえたりして、民衆の反感を買ってしまい、最終的に
「トマスは民衆の敵だ」と言われてしまう。

確かにトマスが言っている事は、ある意味正論だったりしますよ。
でも、言い方ってものがあるでしょう?
どんなに正しい事を言ったとしても、相手に伝わらなければ
意味がないでしょう?と言う思いが沸々と湧いてきます。

結果的に、娘は仕事を失い、家には石が投げ込まれ、自分も
役職を失い、家まで失う羽目になります。
唯一トマスの味方となってくれていた船長まで仕事を失ってしまう事に。
何ていうか・・集団ヒステリーというか、今のSNSの炎上に少し
似たものを感じてしまうのですよね。
また市長をはじめとした、温泉の汚染隠しについても、データの改ざん
など、今でもよく見られるような話だし、利害によって民意が誘導される
っていうのも、今でもある事です。
つまり、この時に描かれたのと同じような事が今も繰り返されている
という普遍性に、何だかゲンナリと滅入るような気持ちになってしまう。
みんなが「不本意ながら」と「自分がそう思ってるわけじゃないよ」
という事を強調してくる。皆自分が悪者になりたくないですからね。
こういうシーンも、現代でもありますよね。
ただ現代にはトマスのような人はなかなか現れないですけど。

私は決してトマスがヒーローだとは思いません。下手くそ、とは思うけど。
むしろ、意固地になってしまって、本来の目的(街の人の健康被害を
無くしたい)を見失っている、残念な人に見えてしまう。
(そういう意味では、奥さんも似た者同士ですけど(笑))
確かに「世界一強い人間は、何があっても一人で立っていられる人間だ」
は正しいと思う。でも、トマスが強い人間であっても、「だから?」
というか・・。強い人間になって、何をしようとしているのか、
その目的を見失ってはいけない、そう思わせられるラストでした。

トマスの家の2階部分への転換が鮮やかだったり、コロスの踊りが
キレッキレだったり、彼らがまた舞台に溶け込んでいく様も、
とてもいい雰囲気だったし、舞台の奥行をつかった演出や照明も
印象的でした。

この舞台の奥行を感じて「わぁ」って思う感覚、観終わった後に感じた
印象とかも、何だかとても懐かしい気がしたんですよね。
初めてコクーンとか東京の劇場に舞台を観に来た頃、観終わるたびに
こんな気持ちになっていたなぁ、と思いだしたというか。
何故そう感じたのかは分かりませんが、久しぶりに大きな舞台で
いい作品を観られたからなのかな・・。
なかなか満足感の高い舞台でございました。