埼玉から都内に小急ぎで戻ってきて、向かったのは池袋です。
シアターグリーンは初めてですね。

拝啓、衆議院議長様「拝啓、衆議院議長様」BOX in BOX THEATER 3列
18:00開演、20:20終演
作:古川健   演出:小笠原響
出演:八柳豪、 荻野貴継、林佳代子、宮島岳史、本田次布 、宮川知久 、 内田龍磨、木村万里 、 吉岡健二、木村愛子、須藤沙耶
【あらすじ】
2016年夏、神奈川県相模原市の障害者施設「やまゆり園」で、日本中を震撼させる事件が起こった。死者19人、重軽傷者27人という多数の犠牲者を生んだ『相模原障害者殺傷事件』である。以前この施設の職員だった犯人は、衆議院議長宛に、自分の主張を手紙にして届けていた。本作は、この事件をモチーフにした物語である。
 

まだ記憶にしっかり残っている「津久井やまゆり園」の事件。
それを舞台にするという事で、どんだけヘビーな舞台なんだろう
と思いつつ、脚本家が劇チョコの古川さんですので、これは
何があっても観たいな、と。

小劇場で舞台を観ることが増えてきて、小劇場で観る良さ、
というのも実感しているんですが、客席が窮屈なんですよね
左右も前後も。この劇場は特にその印象が顕著で。
(実測でもっと狭い劇場はあるかもしれません、あくまで主観。)
舞台の内容もありますが、観劇中に友人は具合が悪くなってしまい、
結局最後まで観られず、1幕で名古屋へ帰ってしまいました・・・。




古川さんは歴史的な事実を舞台化することが多いと思いますが
(アフタートークでご本人もおっしゃっていましたが)いずれも
当事者がもう生存していないような、昔の出来事が中心です。
それが、2016年の夏、まだ3年も経っていない最近の出来事をモチーフに
した舞台を書かれる、というのに興味をそそられたのも事実です。

でも・・・。

あくまで「フィクション」という体を取っていますが、舞台の内容は
限りなく実際に起きた事件「相模原障害者施設殺傷事件」(障害者施設の
元職員が、刃物で入所者を次々と19人も殺した事件)です。
まだこの「津久井やまゆり園」の事件は裁判中で、結審していないはず。
そんな法的な結論も出ていない段階での舞台化なんて、いったい
どうやってお話を〆るつもりなんだろう。
事件の内容を追うだけなら、それを舞台化する意味って何なんだろう。
そういう、ちょっと意地の悪い興味があったことも事実です。

舞台は熱血弁護士の太田憲明(八柳豪)の目線で描かれます。
太田は金銭的なメリットのない国選弁護も熱心に引き受ける、いわば
人権派の弁護士。ただそれ故に事務所には金銭的な余裕はない。
そんな時に太田の先輩弁護士である遠山勇(内田龍麿)が仕事の話を
持ちかけてくる。
自分が担当する事件の弁護団に加わらないか、と。
それが「しらゆり園」の殺人犯、松田尊(荻野貴継)の事件だった。
さすがの太田も即答が出来なかったし、遠山も被告人とその親に
会って欲しいと告げて帰ってしまう。

結局太田は弁護団に入る事を決める。
恐らく、遠山弁護士から言われた「試されている」という言葉が
引っかかったのかもしれないですね。

そして太田弁護士は被告人の松田と接見をする事に。
どんな犯人なんだろう、どんな事を言うんだろう。
恐らく、劇中の太田弁護士が感じていた事と同じことを、客席の
人間も感じていたに違いない。少なくとも私はそう思ってました。
そこで出てくる松田は、拍子抜けするほど礼儀正しく、穏やかで、
理路整然と話のできる、どちらかと言えば好青年。
そして、だからこそ漂ってくる、そこはかとない不気味感。
何故ならば、松田の語る内容がぶっ飛んでいるから。

正確に言えば、現実に起きた「津久井やまゆり園」のニュースは
覚えていますので、犯人の思想については予備知識がありました。
でも改めて舞台で、被告人役の、一見常識的と思える風体の男性が
淡々と話すと、「はぁ?」とか「なんでそんな風に思うの?」とか
得体のしれない感覚が自分でも湧き上がってくるのが分かります。
太田弁護士が何を言っても、怯むことなく自分の意見を語る松田。
「心失者、自己紹介も出来ない人は殺されてもいい。」
舞台上の太田弁護士の感じているであろう、やり場のない怒りや
無力感は、やはり私の感じているものでもありました。

太田弁護士は色々な人に会います。

松田の同僚だった、「しらゆり園」の職員だった女性。
松田に殺された障害者の父親。
事件に嫌悪感を感じている検察官。
精神医療についての知識や意見を得るために精神科医にも会うし
もちろん、被告人の両親にも会うことになります。

あんな松田でも、人手不足の中では居てくれた方が助かった。
彼の意見は100%間違っていると分かっていても、仕事が大変で
自分の中にも「松田」が居るんじゃないか、不安になる・・と
罪悪感をもちつつ語る、元同僚。
事件の影響で、成人男性を見るとパニックを起こす元入所者。
障害者であっても娘は娘。生きていてくれるだけでよかった、と
とつとつと話す老いた被害者の親。
自分の子供が恐ろしい、措置入院の後で実家に戻ってこなくて
正直ほっとしていた、と告白する松田の両親。
障害者への差別を許さず、松田は死刑しかありえないと語る検事。

一方的に被害者・加害者の視点だけで描いているのではなく
周りの視点を入れ、極力フラットに描こうとしているんだろうな、
という作り手の配慮を感じます。

一幕が終わっても、この舞台をどうクロージングするんだろう
というのが全く見えない。

松田に対する怒りと嫌悪感を止められず、弁護をする自信を無くした
太田弁護士は松田の弁護を止めると決めたのだが、遠山弁護士や妻と
話す中で再度弁護をしようと思い直す。
弁護の方針は「世の中に死んでいい命などはない。だから松田だって
死んでいい(死刑になる)訳でもない」。

犯人がその行動(その思想)に至る理由をインターネットや現代の
ゆとりのなさからくる寛容度の低下に求めるのは、やや手垢のついた
議論のようにも思えます。
そして、他者を認める「共生」の大切さはもっともだけど、どうしても
きれいごとにも思えるのも事実で、そこが結論の出ていない事件を
モチーフにした舞台の限界なのかもしれないと思います。

ただ、鉄格子の向こうに居た松田の、目の前の鉄格子が上に上がり
両手に刃物を持ち、その刃先を客席の方に向けて、まっすぐに
歩いてくるシーンは、ガチで「怖い」と思いました。
冷静な松田が突然キレて、大声を出した時は「ヤバい」と思いました。
背景にぶら下がる19輪の白百合の花には、お葬式を連想させられます。
被害者の父親の話などには、思わず泣いてしまいましたよね。
恐らくモデルとなったであろう、被害者の保護者の方のインタビューも
実際に見た事があり、内容は概ね同じだったのですが、目の前で
語られると(それが演技だと分かっていても)湧いてくる感情が
違うものなんだな・・と、驚いたりもしたのでした。
舞台としてのオチは少々不完全燃焼な感覚も残りましたが、
事件を追体験したような経験、登場人物にその都度共感するという
経験そのものが、この舞台を観る価値だったのかもしれない。
観終わってグッタリ感がハンパなかったですが、そうも感じました。

あんな松田でも自分の親には極力迷惑が掛からないようにしている
らしいと知り、息子は生きてほしい(死刑になってほしくない)、
ただ事件は反省してほしい。もう諦めずその考えは間違っていると
息子には言い続ける。だって私たちは親なんだから−。
あの松田の両親の言葉が、とても大きな希望に感じられました。
作者の希望かもしれませんが。

死刑制度の是非、遺族感情(死刑にしたら納得できるのか)、優生思想。
答えのない問題ばかりですが、改めてそんなことに考えをめぐらす
いい機会だったのかもしれません。
誰から見ても弁護の余地がないと思われる松田の弁護士を主役に
持ってくるという、難しい内容の舞台だったと思います。
これがまた何年かして、この事件の判決が確定したら、加筆をして
再演されるといいんじゃないかなぁ・・。というか観てみたい。

ちなみにこの日はアフタートークも開催されました。
劇中で検事が被告人弁護団と法廷外で言い争うシーンがあります。
個人的に検事は松田のような、差別思想を持つ人が許せない、
と語るシーンで、とても印象的でした。
「兄の子供は自閉症だが、それでもその障害を受け止め、寄り添い
幸せに生きていて、自分はそんな兄家族の生き方に共感し、尊敬している。
だから、誰かが兄一家を不幸と決めつけるなら、私はそれを許さないー。」
アフタートークで古川さんがおっしゃっていましたが、古川さん自身の
お兄さんのご家庭の事なんだそうです。
ああ、印象的だったのには、そういう背景があったからなのかしらね・・
等と思ったりもしたのでした。