すっかりハマったパラドックス定数。
厳密に言うと、パラドックス定数の作品を書いている野木さんの
脚本が好きなんですよね。だからこちらも楽しみにしていました。

骨と十字架「骨と十字架」新国立劇場 小劇場C1列(正面最前列)
13:00開演、14:55終演
脚本:野木萌葱   演出:小川絵梨子
出演:神農直隆、小林隆、伊達暁、佐藤祐基、近藤芳正

【あらすじ】
進化論を否定するキリスト教の教えに従いながら、同時に古生物学者として北京原人を発見し、一躍世界の注目を浴びることとなったフランス人司祭、ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの生涯。どうしても譲れないものに直面したとき、信じるものを否定されたとき、人はどうなっていくのか、どう振舞うのか。歴史の中で翻弄されながらも、懸命に、真摯に生きた人々を描くー。




野木さんが「チケットが売れていない」とツイートされているのをみて
「えー」と思っていたのですが、後半になるにつれて、チケットも
売れてきていたみたいです。

劇場は可愛くなってました。テーブルはモリス柄。
テーブル

壁には北京原人が歩いていて(笑)。
壁

等身大の北京原人のパネルもありました。1メートルちょっとぐらい?
とても低い

こんなデコレーションしてあるのは「かがみのかなたはたなかのなかに
以来ですね、私が観た範囲では。

ほねじゅう
舞台は上から見ると十字架の形になっているんですね。






舞台の上にはピエール・テイヤール・ド・ジャルダン(神濃直隆)
そこにアンリ・ド・デュパック(佐藤祐基)がやって来ます。
テイヤールはリュバックに「ローマ人が立てたオベリスクを移築した
ものだが十字架は余計ではないか」と言い、リュバックは
「バチカンでは仕方ないことです」と答えます。
テイヤールは検邪聖省責任者(近藤芳正)と自らが所属する
イエズス会総長(小林隆)から呼び出しを受けていたのにもかかわらず
2時間も待たされているとのこと。

ここまでで、登場人物の力関係が何となく飲み込めてきます。

テイヤールは古生物学者として、人類の起源は聖書に書かれている
「アダムとイブ」ではなく別にある、と主張していたのだけど、それは
聖書を否定する事にもつながり、教義に反する、とされていたんですね。

2時間待たされても「私が待てばいいことです」と穏やかなテイヤール。
検邪聖省の責任者であるラグランジュは、今後教義に反する書物は
執筆しない、生徒に指導もしない事を誓約する書面にサインをさせよう
としていて、テイヤールも最初は「どんな処分でも受け入れる」
つもりでやって来ていたのに、やはり署名を拒否してしまう。

そこまでされてもテイヤールは信仰は捨てないという。
でも、進化論も捨てられない。
相反する話なのに、どうやらテイヤールの中では矛盾していない様子。
アダムとイブの話は「比喩」であるのだから・・と。
神は地上にいるのではなく、私たちの遥か前を歩いているのだ、とも。
この人の考え方は、ある意味とても今の私たちのそれと近いのかもね。
真摯だし、まじめだし、愚直な人ではあるけど、とびきり頑固。
神濃さんは、体調不良で降板した方のピンチヒッターなのだそうですが
とても良かったです。

他にこの場に居たのは、エミール・リサン(伊達暁)。
司祭で同じく学者であるリサンもやはり、教会との軋轢から北京に
飛ばされてしまったのだという。
まー、このリサンがインパクト強いわ、魅力的だわ・・でビックリ。
誰よ?このシニカルなセリフが似合う、飄々とした髭面の俳優さんは!
と思ったら、伊達さんだったんですね。相変わらず声も素敵だわ。
誰からも距離を置きクールなポジションをキープし続けていたリサン。
学者として誰よりも、テイヤールの事を理解していた人でもある。
だからこそ、テイヤールを北京に誘ったのだし、だからこそその後
リサンと袂も分かつ事にもなった・・・。
恐らくは学者としての嫉妬もあるんじゃないかな、彼の思い切りの良さや
自分の信念を貫こうとしている姿勢に対してね。
リサンは誰よりも醒めている人だと思っていたけど、実はけっこう教会とも
折り合いをつけている、現実的な人でもあったのかもしれないな。
北京でも発掘にそこそこ満足しているのだけど、テイヤールはもっと
新たな発見を求め、ヨーロッパに戻りたいと訴えたりしているからな。

常々思うのだけど、「そんな夢みたいな話・・!?」と思うようなことを
本気で語る子って、結局は大きな夢を叶えたりするものなんだよね。
私は「夢みたいな事言わないで、現実をみなきゃ」って思うタイプで
そんな人は、結局、そこそこの成果しか手にできないんです。
だから、私はよりリサンに親近感を覚えるのかもしれないな、と思う。
いずれにしても学問をイノセントに追い求めるテイヤールに
聖職者としては危険なものを感じたのも、リサンだからこそでしょう。

ラグランジュは会えば半ばヒステリックにテイヤールを責めたてるし、
取りつく島もないんだけど、それはそれでラグランンジュが固く
信じるものがあるという事でしょう。だから何を言われても揺るがない。
小林さんと近藤さんの掛け合いは、息もぴったりで(そりゃそうか)
クスって笑えるところもありましたね。
堅い会話が続くので、いい箸休めっていう位置づけになりました。

聖職者として、誰もが同じものを信じているはずなのに、結果として
理解しあえない、でもお互いの考えにお互いが揺らいでいる所もある。
テイヤールは学問と宗教の間で身動きが取れなくなってしまう。
進化の発見は神が人を作ったのではなく、人が神の概念を作ったのだと
つまりは神の否定に繋がってしまうのだから。
それでもテイヤールは聖職者であろうとしたんですよね・・。

舞台上には高さの違う燭台が何本かあり、そこには本物の炎が
揺れていたのだけど、なんかこの人達って、お互いに影響しあい
揺れあって、でも消えない炎みたいだな・・と思ったりした私でした。

この舞台の衣装も前田文子さん。
衣装のシルエットがとても美しくて印象的でした。
今回は登場人物が全員聖職者という事で、ちょっと独特のメンタリティ
なんだろうな、と思う所はありますし、キリスト教の事に詳しければ
きっともっと楽しめたのだろうと思います。
でもそれ以上に、私は野木さんの会話劇が好きだなぁ、と思ったのでした。