今月のラスト観劇は1日で3本連続観劇です(笑)。
この作品は去年東京で上演されており、観たいと思ったものの
タイミングが合わなくて見送りつつ、翌年「一挙上演」がある
と聞いていたので楽しみにしていました。
DULL-COLORED POP第20回本公演「福島3部作・一挙上演」
第一部『1961年:夜に昇る太陽』in→dependent theatre 2nd
13:00開演、14:55終演
作・演出:谷賢一
出演: 東谷英人、井上裕朗、内田倭史、大内彩加、大原研二、塚越健一、 宮地洸成、百花亜希、阿岐之将一、倉橋愛実
【あらすじ】
この作品は去年東京で上演されており、観たいと思ったものの
タイミングが合わなくて見送りつつ、翌年「一挙上演」がある
と聞いていたので楽しみにしていました。
DULL-COLORED POP第20回本公演「福島3部作・一挙上演」
第一部『1961年:夜に昇る太陽』in→dependent theatre 2nd
13:00開演、14:55終演
作・演出:谷賢一
出演: 東谷英人、井上裕朗、内田倭史、大内彩加、大原研二、塚越健一、 宮地洸成、百花亜希、阿岐之将一、倉橋愛実
【あらすじ】
1961年。東京の大学に通う青年・<穂積 孝>は故郷である福島県双葉町へ帰ろうとしていた。「もう町へは帰らない」と告げるために。北へ向かう汽車の中で孝は謎の「先生」と出会う。「日本はこれからどんどん良くなる」、そう語る先生の言葉に孝は共感するが、家族は誰も孝の考えを理解してくれない。そんな中、彼ら一家の知らぬ背景で、町には大きなうねりが押し寄せていた……。
大阪公演実現のためにクラウドファンディングが実施されていました。
タイミングによっては観に来れないし・・と躊躇っているうちに
クラウドファンディングが終わってしまったんですよね。
それなのに観に行くのって、何だか申し訳ない気持ち・・。
谷さんをTwitterでフォローしているのですが、この作品に対する
谷さんの思い入れの強さは、ヒリヒリするほど伝わって来ていました。
だから例え1本2時間であっても、1日で3本を連続で観るって
なかなかハードなのですが、楽しみだったんですよね。
初めて来た in→dependent theatre 2nd は思ったよりも大きくて
ちょっと驚いてしまいました。(最近の私の感覚では・・ですが。)
会場に入ると流れているのは昭和歌謡。この舞台は1961年ですから
雰囲気出てますね。
大阪公演実現のためにクラウドファンディングが実施されていました。
タイミングによっては観に来れないし・・と躊躇っているうちに
クラウドファンディングが終わってしまったんですよね。
それなのに観に行くのって、何だか申し訳ない気持ち・・。
谷さんをTwitterでフォローしているのですが、この作品に対する
谷さんの思い入れの強さは、ヒリヒリするほど伝わって来ていました。
だから例え1本2時間であっても、1日で3本を連続で観るって
なかなかハードなのですが、楽しみだったんですよね。
初めて来た in→dependent theatre 2nd は思ったよりも大きくて
ちょっと驚いてしまいました。(最近の私の感覚では・・ですが。)
会場に入ると流れているのは昭和歌謡。この舞台は1961年ですから
雰囲気出てますね。
第一部は双葉町の住民たちが原発誘致を決定するまでのお話。
舞台の幕開きは、双葉町に向かう汽車の中。
故郷に向かう大学生の穂積孝と、ビシっとスーツを着た女連れの男性、
佐伯正治。穂積孝は東大で物理学を勉強し、そのまま物理の知識を
活かした仕事をしたい=双葉町に戻って家を継がない、と宣言する為に
戻る途中。
この作品には大きな軸が2つあって、1つが産業のない田舎での生活、
とりわけ双葉町の貧しさ、将来性の乏しさ。
もう一つが、原発の誘致。勿論それらは関連した話なんだけど、
それだけではない、後に続く伏線にもなっている所だと思います。
汽車の中で知り合った佐伯正治は東電の社員。
原発建設の用地買収のため、孝の祖父である正を説得にやって来た人で
広島県の出身。学者でもあるから、とても理性的な話し方をする。
原発誘致は他の市町村も狙っている事、原発が出来たら双葉は
一大工業地域になる事も可能で、地域発展につながるんだという事が
語られますが、その直前に孝が祖父と言い争う所では田舎ならではの
閉鎖性や、考え方を思い知らされ、双葉町の構造的な貧しさが
ガツンと語られているので、この内容に重みが加わります。
「こんないい話、断るなんてありえなくない?」
とでも言わんばかり。
でも冷静に考えると、事前にコソコソ下調べしていたり、町長は
町議会の根回しも済ませている。断る事なんてもう無理でしょう。
断ったら周りの人に迷惑が掛かるかもしれないし、断るという事は
町の発展を願っていないと言わんばかり。忠の言葉にもありましたが
「自分で決めたんじゃない、決めるように仕向けられた」。
もちろん、この時点で東電は原発事故を起こすなんて思っていないから
悪意なんかは無いはず。
熱心に誘致をした東電の佐伯だって、本当に国を良くしたいと思って
やっていることなんだと思う。でも・・・
孝が「放射能廃棄物はどうなるんだ」「万が一原子炉が破損したら
放射能が漏れるのではないか」と問いただしても「交通事故に遭うより
低い確率だ。この確率に対する対応方法は君達の世代が考えるだ」って
言うのが今となっては、何だか白々しいと言うか、軽すぎると言うか・・・。
その「交通事故よりも低い確率」の事故は起きちゃったのだから。
「日本人は間違えない。広島と長崎の記憶があるから間違えないんだ」
「広島出身の私が言うんです、恐ろしさは知っている。二重・三重の
防御をしている。原発は安全です」
全くもって論理的じゃないし、何の根拠もない、もはや感情論じゃない?
冷静に考えたら気づかないか?と思うんだけど、皆この佐伯の説得に
黙らせられてしまうんですよね。
ここに広島の人に対する負い目みたいなものがあったのかなぁ
なんて思ったりもしたりして。
しかし最後に何度も祖父が繰り返す「お前は反対しなかった」という
セリフの何と重いことか。
3.11を知っている今だから、重いものを飲み込んだような気持ちに
させられるけど、舞台では孝の弟である穂積忠(第二部の主役)以外は
希望に溢れていて、実際に、当時の双葉は未来を信じていたんだろうな・・と、
複雑な気持ちになったのでした。
今となっては色々言える事だけど、当時は殆どの人が原発誘致を
良かれと思ってやっていた、という事ね。それがポイントかな。
最後のシーンは現代。
帰宅困難地区になった自宅に荷物を取りに帰った穂積真(本編では人形)
が当時を思い返す場面で終わります。
佐伯を演じた阿岐之将一さん、良かったなぁ。理性的なところと
情熱的(青い炎って言うイメージね)なところ。
大原研二さんの演じた、いい加減な、ちょっと利己主義の町長もいい塩梅。
この作品、孝の弟である穂積真(第三部の主役)とその友達は人形
なんですよね。最初は「何故人形?」と思ったりもしましたけど、
途中から気にならなくなるのが、演劇の凄い所です。
この子供たちだけが人形なので、子供たちだけの独特の世界観の象徴
のようにも思えるし、重い中にも笑えるシーンになって、ちょっとした
箸休めのような感じにもなっていました。
第一部、単純に舞台作品としても面白く拝見いたしました。
舞台の幕開きは、双葉町に向かう汽車の中。
故郷に向かう大学生の穂積孝と、ビシっとスーツを着た女連れの男性、
佐伯正治。穂積孝は東大で物理学を勉強し、そのまま物理の知識を
活かした仕事をしたい=双葉町に戻って家を継がない、と宣言する為に
戻る途中。
この作品には大きな軸が2つあって、1つが産業のない田舎での生活、
とりわけ双葉町の貧しさ、将来性の乏しさ。
もう一つが、原発の誘致。勿論それらは関連した話なんだけど、
それだけではない、後に続く伏線にもなっている所だと思います。
汽車の中で知り合った佐伯正治は東電の社員。
原発建設の用地買収のため、孝の祖父である正を説得にやって来た人で
広島県の出身。学者でもあるから、とても理性的な話し方をする。
原発誘致は他の市町村も狙っている事、原発が出来たら双葉は
一大工業地域になる事も可能で、地域発展につながるんだという事が
語られますが、その直前に孝が祖父と言い争う所では田舎ならではの
閉鎖性や、考え方を思い知らされ、双葉町の構造的な貧しさが
ガツンと語られているので、この内容に重みが加わります。
「こんないい話、断るなんてありえなくない?」
とでも言わんばかり。
でも冷静に考えると、事前にコソコソ下調べしていたり、町長は
町議会の根回しも済ませている。断る事なんてもう無理でしょう。
断ったら周りの人に迷惑が掛かるかもしれないし、断るという事は
町の発展を願っていないと言わんばかり。忠の言葉にもありましたが
「自分で決めたんじゃない、決めるように仕向けられた」。
もちろん、この時点で東電は原発事故を起こすなんて思っていないから
悪意なんかは無いはず。
熱心に誘致をした東電の佐伯だって、本当に国を良くしたいと思って
やっていることなんだと思う。でも・・・
孝が「放射能廃棄物はどうなるんだ」「万が一原子炉が破損したら
放射能が漏れるのではないか」と問いただしても「交通事故に遭うより
低い確率だ。この確率に対する対応方法は君達の世代が考えるだ」って
言うのが今となっては、何だか白々しいと言うか、軽すぎると言うか・・・。
その「交通事故よりも低い確率」の事故は起きちゃったのだから。
「日本人は間違えない。広島と長崎の記憶があるから間違えないんだ」
「広島出身の私が言うんです、恐ろしさは知っている。二重・三重の
防御をしている。原発は安全です」
全くもって論理的じゃないし、何の根拠もない、もはや感情論じゃない?
冷静に考えたら気づかないか?と思うんだけど、皆この佐伯の説得に
黙らせられてしまうんですよね。
ここに広島の人に対する負い目みたいなものがあったのかなぁ
なんて思ったりもしたりして。
しかし最後に何度も祖父が繰り返す「お前は反対しなかった」という
セリフの何と重いことか。
3.11を知っている今だから、重いものを飲み込んだような気持ちに
させられるけど、舞台では孝の弟である穂積忠(第二部の主役)以外は
希望に溢れていて、実際に、当時の双葉は未来を信じていたんだろうな・・と、
複雑な気持ちになったのでした。
今となっては色々言える事だけど、当時は殆どの人が原発誘致を
良かれと思ってやっていた、という事ね。それがポイントかな。
最後のシーンは現代。
帰宅困難地区になった自宅に荷物を取りに帰った穂積真(本編では人形)
が当時を思い返す場面で終わります。
佐伯を演じた阿岐之将一さん、良かったなぁ。理性的なところと
情熱的(青い炎って言うイメージね)なところ。
大原研二さんの演じた、いい加減な、ちょっと利己主義の町長もいい塩梅。
この作品、孝の弟である穂積真(第三部の主役)とその友達は人形
なんですよね。最初は「何故人形?」と思ったりもしましたけど、
途中から気にならなくなるのが、演劇の凄い所です。
この子供たちだけが人形なので、子供たちだけの独特の世界観の象徴
のようにも思えるし、重い中にも笑えるシーンになって、ちょっとした
箸休めのような感じにもなっていました。
第一部、単純に舞台作品としても面白く拝見いたしました。