第一部が終わって、第二部の開場まで30分。
外は凄い雨だし、そのままロビーで開演を待つことにします。

メビウスの輪DULL-COLORED POP第20回本公演「福島3部作・一挙上演」
第二部『1986年:メビウスの輪』in→dependent theatre 2nd
16:00開演、17:55終演
作・演出:谷賢一
出演: 宮地洸成、百花亜希、 岸田研二、木下祐子、椎名一浩、藤川修二、古河耕史

【あらすじ】
福島第一原発が建設・稼働し、15年が経過した1985年の双葉町。公金の不正支出が問題となり、20年以上に渡って町長を務めてきた田中が電撃辞任した。かつて原発反対派のリーダーとして活動したために議席を失った<穂積 忠>(孝の弟)は、政界から引退しひっそりと暮らしていたが、ある晩、彼の下に2人の男が現れ、説得を始める。「町長選挙に出馬してくれないか、ただし『原発賛成派』として……」。そして1986年、チェルノブイリでは人類未曾有の原発事故が起きようとしていた。



私たちがロビーで立って待つことが出来る程度の時間だけで
会場の整備をして、次の芝居の準備をして・・って、
ものすごく慌ただしいんだろうな、と思います。
第一部は3列目だったので、第二部は2列目をGETしてみました。





この第二部は既に福島原発が稼働して、原発マネーで潤った街が
行き詰まりを見せ始めた頃から、チェルノブイリの原発事故が
起きるまでのお話になります。

第二部の主役は穂積忠。第一部で唯一原発に反発していた
穂積家の二男で、自治会に力を注ぎ、双葉をよくしたい、人の為に
なりたいと思って行動していた人。あの頃と本質は変わっていない様子。
忠は原発反対を訴えて選挙に出馬し、落選し続けている。
奥さんからも、子供からも「もう止めてくれ」と懇願されている。
でも別に権力欲に憑かれた訳ではなく、飼い犬を本当に大切に思い、
頼まれた事が断れない様子は第一部で観た、人の為に何かをしたいと思う
とても素直な人となりは、変わっていない様子。

反原発を訴えても落選が続く、反原発を訴える事に対して
近所の人目を気にする・・と言うくだりで、もうこの頃には
原発マネーが生活に欠かせないこと、原発に対してネガティブな
発言がタブーになっている・・と言う様子がうかがえます。

そんな、誰から見ても「原発反対」の忠の元に町長に立候補
しないか、とお誘いの声がかかる。もちろん「反対派」ではなく。
そんな事ありえなくない?と思うと、凄い論法で説得されてしまう。
「原発反対の旗だけを降ろせばいい。もう今更原発なしでこの町が
まわると思うか。あなたは変わらなくていい。原発は危険だと
言い続ければいい。そうすればより安全の為に工事も行われるし
補助金も引き出せるだろう、まさに君が適任なんだ」と。

ものすごい違和感。

チェルノブイリの事故の後、一旦原発を全て止めて点検しようと言う
忠に対して迫る吉岡。ここでも同じ違和感。
「貴方は、危ないと思っていたのに原発を動かしていたんですか?
 危ないと思っていないなら、止める必要がありますか?」

・・・そうだ、第一部で「広島出身の私が言うんです!」と
熱弁していた佐伯に感じた違和感と同じ種類だ。
確かに筋が通ってはいるんだけど、冷静に考えると詭弁じゃない?
と思うとともに、何かの大きな流れに流される時って、こういう感じかな
なんて、思わずにはいられなかった。
ていうか、「日本人は真面目だから、チェルノブイリみたいな事故は
起こりません」って、訳わかんないし。

事故の後に記者に囲まれ「日本の原発は安全です」と繰り返す忠。
もう、忠自身の意思はそこには無く、まるでロボットのように。
歌にノリノリになっている姿が、痛々しくて。
その時に流れていた清志郎さんの「サマータイムブルース」が
あまりにもタイムリーすぎて、この為に作詩されたのではないか?と
思うほど。この曲を持ってきた谷さん、凄いと思う。

それでもテレビは言っている
「日本の原発は安全です」
(WIKIによれば、当時東芝EMIからこの曲を発売しようとしていたが
親会社の東芝が原子炉のサプライヤーだった事と、EMIの社長が東芝からの
天下りであった事から圧力がかかって、発売中止に追い込まれたのだとか)

原発で一時は潤い、様々な公共施設を作った双葉。
でもいずれ時がたてば固定資産税も入らなくなる。税収の半分を
原発に頼っている町だから、そんな事になったら原発マネーで作った
公共施設の維持費も、人件費も払えなくなってしまう。
だから、また新たな原発の増設を認めざるを得なくなる。
・・・・「メビウスの輪」とは、なんてピッタリのタイトルなんでしょうね。
もう、一旦走り始めたらこの輪から逃れることは出来ないんだな。
今から思えば、第一部でも、第二部でも、立ち止まる、見直すことが出来る
ポイントは幾つもあったけど、大きな流れには逆らえずにあの事故に至る・・。
忠も一生懸命流れに逆らおうとはしていたけど、気づいたら流の真ん中に
放りこまれて、自分自身を無くしてしまったようでもあって・・。
そういう意味では、忠もある意味被害者ではあるのよね。
もちろん、当初「仙台みたいに栄えるはず」と思って誘致した原発で作った
電気は東京に送られてしまい、原発に頼るだけになってしまった町人たちも
被害者だとは思うんですけどね。

この舞台では、ストーリーテラーが忠の飼っていた犬のモモ。
実際は序盤に亡くなってしまうので、モモの幽霊(?)なんだけど
モモだけが冷静で、でも幽霊だから声が届かなくて・・と言う設定も
なかなか効いていたな、と思いました。
吉岡を演じた古河さん、サイボーグみたいで、凄く良かった。
端正な顔だちで冷静な方が、まくしたてると本当に怖いよね・・・。

チェルノブイリの原発事故、リアルタイムで知っているけど、
まさかその何年か後に日本で事故が起こる事になるなんて、
想像も出来なかったな・・確かに。

ああ、もうすぐ3.11がやって来るんだなぁ・・と思いながらの終演。
何だか、気づいたら自分も大きな流れに巻き込まれてるな・・と
思ったりもしたのでした。
今更言っても・・なんだけど、一瞬入った原発マネーで公共施設を
作りまくるのではなく、そのお金で産業を誘致したり、地域興しの為に
お金が使えていたら、何かが変わっていたのかな・・とも思ったり。
まあ・・・。所詮部外者の人間が語る結果論でしかないのですが。