劇場までスマホに振り回されながらやって来たので、帰りに
迷わずに駅まで到着できるかとにかく不安。
最終列車を予約していたので、迷って遅れる訳にもいかないので
第三部までの時間で一度、難波駅近くまで歩いてみたりして
ちょっとリフレッシュ。
すると劇場外まで当日券を求める長い行列が出来ていました、すご。

語られたがる言葉たちDULL-COLORED POP第20回本公演「福島3部作・一挙上演」
第三部『2011年:語られたがる言葉たち』
in→dependent theatre 2nd 19:00開演、20:55終演
作・演出:谷賢一
出演:東谷英人、井上裕朗、大原研二、佐藤千夏、ホリユウキ、 有田あん、柴田美波、都築香弥子、春名風花、平吹敦史、森準人、山本亘、渡邊りょう

【あらすじ】
2011年3月11日、東北全体を襲った震災は巨大津波を引き起こし、福島原発をメルトダウンに追い込んだ。その年末、<孝>と<忠>の弟にあたる<穂積 真>は、地元テレビ局の報道局長として特番製作を指揮していたが、各市町村ごとに全く異なる震災の悲鳴が舞い込み続け、現場には混乱が生じていた。真実を伝えることがマスコミの使命か? ならば今、伝えるべき真実とは一体何か? 被災者の数だけ存在する「真実」を前に、特番スタッフの間で意見が衝突する。そして真は、ある重大な決断を下す……。




第三部は東北の震災とそれに伴う原発事故が舞台になりますので
まだ私の記憶にも新しい所なんですが、もう8年前になるんですね。
月日の流れるのは早いなぁ・・と、思わずにはいられません。








とにかくオープニングが印象的です。
緊急地震速報の時に流れる音、テレビの報道番組のアナウンサーの声、
激しい音に揺れる明かり。まるで本当に揺れているような錯覚を起こします。
その時、震度4の揺れにしか過ぎなかった名古屋市内に居た私でも
一瞬で、あの日は金曜日で寒かったなぁ・・、曇ってたなぁ・・という事が
思い出されてきました。震災を体験した人だと、この場面はけっこう
キツいんじゃないだろうか、と思うぐらいです。

音が収まると目の前に倒れる人達は順番に自らの無念を語ります。
「私には子供が居た」
「私は真っ二つにはなりたくなかった」
「私には夢があった」
「私は帰りたかった」
「私は見つけてほしかった」
そして繰り返される「私達は死にたくなかった。」

・・・辛い・・・。

それからは震災後の福島を取材する地元テレビ局が中心になります。
第二部で「日本の原発は安全です」と言った町長の弟、第一部では
人形が演じていた穂積真が、テレビ局の報道に携わっているんですね。
震災後の様子を取材する中で、いろいろな被災者に会っていきます。

他人の救助をしていたために、自分の家族が行方不明になった男性
原発から離れているのに風向きのせいで、避難を余儀なくされた
自分たちが一番の被害者だと訴える飯館村の住民。
福島の現状をネットで配信し不安を訴える少女と、その少女を
「風評被害を広めるな」と責める人々。

長らく福島で取材された谷さんが作られた作品なので、これらの
登場人物のような方は、実際にいらっしゃったんでしょうね。
私などは「福島」とひとくくりの考えていたけど、被災者である
福島の人達の中にも、想いが色々あるんだ・・。
「双葉町が原発を誘致しなかったら」と双葉の住人を責める人
「うちよりも線量が少ないじゃないか」と争う人達。
「お前の方が私よりも汚染されている」と被災者同士でイジメが起きる。
なんか・・やりきれないですよ。
そして、何も知らなかったんだな、私・・・と痛感。

そして観ながら、この作品は何を訴えたいのかな・・とも思う。
当時の(恐らく今現在も同じだが)報道の在り方を非難したいのか?
うーん、それもちょっと違う気がする。
個人的には被災者であり、報道の中心にいる穂積真にはもっと
引っ張って行って欲しい気がするんだけど、穂積真自体も迷ってて。

最終的に、真は彼なりの報道の答えらしきものを見つける。
「無理に一つの物語にせず、さまざまなバラバラなエピソードを並べたら、
その中から福島の声が聞こえてこないかな」と。
うーん・・・それも答えの一つかもしれないけど、やはり現在進行形の
事象を扱う舞台の限界のようなものも感じたかな。
でも、この「語られたがる言葉たち」自体が、その穂積真が言う
「バラバラのエピソードを並べて、そこから生まれる声」を舞台に
したものであり、穂積真が谷真一さん自身と重なって見えたりもしたのでした。

この問題はまだ現在進行形であり、昔話として語るには日が浅すぎる。
そういう素材を舞台の素材として扱う事の難しさを、改めて感じました。
知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で元施設職員が入所者を19名
殺害した事件を描いた「拝啓、衆議院議長殿」の時にも思ったんですよね。
事件がまだ完結していない、当事者がまだご存命であるという状況で
どこまで演劇として描けるか、という限界があるというか、現実がまだ
決着がついていない段階で、舞台のゴールをどこに設定するのかって
とても難しいことなんでしょうね。

3舞台を一気に観るなんて・・と思いましたが、思ったよりも平気でした。
確かに第一部〜第三部まで単独で観ても楽しめる舞台だったと思います。
でもやはり、全部観たからこそ伝わるものもあるな・・と強く思うので
通し上演を観て良かった、と思います。
福島に寄り添おうとする谷さんの思い入れも、とても伝わってきました。