引き続き台風の動向が気になりつつも、朝から晴天。
朝ごはんを食べに行った帰りに雨に降られましたが、
とても台風接近中という感じではないですねぇ。

アジアの女「アジアの女」シアターコクーンF列
13:00開演、15:15終演
脚本:長塚圭史   演出:吉田鋼太郎
出演:石原さとみ、山内圭哉、矢本悠馬、水口早香、吉田鋼太郎
【あらすじ】
大災害によって壊滅した町で半壊した家に住み続ける兄と妹。兄、晃郎(山内圭哉)は酒浸りとなったが、かつて精神を病んでいた妹、麻希子(石原さとみ)はむしろ回復しつつある。そこに突然、書けない作家一ノ瀬(吉田鋼太郎)が現れ、元編集者の晃郎に「物語を書かせろ」と迫る。巡査の村田(矢本悠馬)は、麻希子に想いを寄せ、この兄妹の世話を焼き見守っていた。一ノ瀬のために外出した麻希子は鳥居(水口早香)と出会い、生活のため「ボランティア」と称した仕事を始める。ついに物語を書き出す一ノ瀬・・・



内容についてはよく分かっていませんでしたが、キャストに
惹かれてチケットを取っておりました。
2006年が初演だったというこの作品。うーん、覚えてない・・。
当時は新国立での上演だったようですね。





舞台は、1階が崩れた家屋が上手にあり、下手には傾いたアパート。
正面には放射性廃棄物が入っていると思われる大きな袋に数字が振られ
うず高く積み上げられている。
どうやら震災後の街らしく、「こんな所に住めるの?」と思ったら
やはりここは立ち入り禁止区域に指定されているらしい。
初演は2006年ですから、東北の震災前に書かれているんですよね。
今回の再演にあたり、どこまで手直しされたのか分かりませんが
何だかゾクっとしてしまいます。

ここに住むのは、心を病んだ麻希子(石原さとみ)と、その妹を
案じつつもアルコールに溺れ、自分もこの土地から離れられないという
兄の晃郎(山内圭哉)。
そこにスーツ姿で訪れる一ノ瀬(吉田鋼太郎)は一応は作家だけど、
親の七光りで出版出来ていただけで、文筆の才能は全くない。
自分が書けなくなったのは、編集者だった晃郎が居なくなったからだ
と一方的に難癖をつけ、転がり込んで来ていた・・と。

石原さとみちゃんは、ヘレンケラー役で初めて拝見した時には
なんてお人形みたいに可愛らしいんだろう・・と思ったものです。
もちろん今も可愛らしいのですが、彼女のハスキーな声が私は
あまり得意ではなく、最初は少し構えて観ておりました。
ちょっと自分に酔ったような演技はありましたけど、メンタルを
病んだ女性という設定に似つかわしい危うさと、健気さについては
素直に「すごいな」と思います。
天真爛漫な笑顔で、家の下敷きになって死んでいるであろう父親が
生きていると信じているのは、みていて結構おっかないものです。
「ボランティア」と称して売春婦として働くようになってから
身に着けるようになった真っ白のドレス。やっている仕事の
いかがわしさを強調するような、対照的な白さが何とも印象的。

ただ、そんなにメンタルの状態が脆い人が、そんな「ボランティア」
を平常心で出来るものなんだろうか。
いくらアル中だとはいえ、妹がどんな仕事をして大金を稼いで
きているのか、兄は不信に思わないのか?社会人経験もあるのに・・
という所については、腑に落ちなかったんですけどね。

今回は演出もなさっていらっしゃいますが、久しぶりに俳優として
拝見する吉田鋼太郎さん。
ああ・・やっぱり素敵。理不尽に喚いたり、まるで子供みたい
なんだけど、あの役がやれる人って、多くは無い気がするのですよ。
観ていて、「こいつーっ(怒)」って何度思ったか(笑)。←褒め言葉。

そして、山内圭哉さんですよ。
オモシロの演技も出来る方ですが、この方のシリアスな演技って
本当に好き。(池田成志さんと同じカテゴリーです、私の中で。)
妹の変化に対して「好きな人が出来たのか?」とすぐに気付く兄。
(だったら、妹の仕事にも気づけよ!とも思うんですが)
そして、相手が日本人ではないとう事を聞かされても動じず、
妹を送り出す優しいお兄さん。このシーンで泣いている方も
周りにいらっしゃいましたね。
恐らく、妹が自分の意思で家族以外に「好き」と言える人が出来て
外の世界に出るようになれた、という安堵感が出ていたんだと
思うし、だからこそ、「家の下にいるお父さん」を封印したんだ
ろうな・・とも思います。

麻希子、晃郎、一ノ瀬それぞれが一歩を踏み出したラストでした。

震災後、中国人など外国人に対する、証拠の無い噂が飛び交い
外国人VS日本人のような構図になっていきます。
毎回震災などが起きると、こういう「外国人窃盗団が出た」という
デマが流れたりするものですが、今はお隣の国との関係も悪く
残念なことに、こういう話にリアリティが生まれてしまいました。
結構セリフがストレートだったりするので、このご時世にこんな
セリフ大丈夫かしら?なんてハラハラしてしまったりして。
長塚さんがこういう世の中を予見していた・・という訳ではなくて
恐らく以前から、何も変わっていない、という事なんでしょうね。

ラストは、なにも生えてこないと思われた「畑」には麻希子が着ていた
ドレスと同じ、血のように真っ赤な曼珠沙華の花が咲き誇っていました。
花言葉は『情熱』『独立』『再会』『あきらめ』『転生』等とか。
根には毒があるという花なので、この震災後の土地とも何だか
関連を感じてしまったりもしましたね、そういう意図はないかも、ですが。

もっと抽象的な作品かと思ったのですが、そうでもなかった。
・・・いや、逆にすごく抽象的だったと言えるかもしれない。
セットが抽象的な訳でもないし、セリフが抽象的だった訳でもないけど
イメージに訴える舞台だったな、という印象があります、私には。