今日はこちらを観に行ってきました。
ヘドウィグを観るのは2007年の山本耕史版以来です。
Zeppもそれ以来ですから、12年ぶり(笑)。

ヘドウィグ「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」Zepp Nagoya D列
13:00開演 14:50終演
作曲スティーヴン・トラスク
脚本 ジョン・キャメロン・ミッチェル
演出福山桜子
出演:浦井健治、アヴちゃん(女王蜂)
【あらすじ】
愛と自由を手に入れるため性転換手術を受けたものの、手術の失敗によって股間に「アングリーインチ(怒りの1インチ)」が残ってしまったロックシンガー、ヘドウィグ。幾多の出会いと別れを経験し、傷つき倒れそうになりながらも己の存在理由を問い続け、「愛」を叫び求める姿を描く。



私が観た山本版は歌詞が英語だったし、まだ舞台を観るスキルが
低かった私には内容がよく理解出来なくて、その後に観た
映画版でやっと「ああ、そういう話なのか」と分かる残念っぷり。
だから、舞台版のヘドウィグには少し苦手感がありまして・・。
浦井君が出なければ、きっと観に行かなかったと思います。

StarSのコンサートで歌った「ミッドナイト・レディオ」がとても
良くて、いつかヘドウィグに出るんだろうな・・と勝手に
思っていたので、浦井君がこの舞台に出ることになったと知った時も、
「あ、とうとうか」と思ったものです。

ヘドウィグのセット
今回は開演前のセット撮影と、開演前のセッションは撮影・録画
ネットへのアップOKとの事だったので。
もう・・山本版の詳細は忘れちゃったのですが、こんなセットでは
なかったような気がする。


 


あー・・ライブってこういう感じだったねぇ・・と思い出します。
芝居にハマる前、厳密には高校〜大学ぐらいまでは音楽にハマって
色々ライブに行っていた時期があったんですよね。
(とはいえ、年間30本〜40本ぐらいなので、可愛いもんですが)
音圧でカラダにドンとくる感じ、懐かしいなぁ。

演出の荻田さんが「健治の女装はブサイクだと思っていた」とツイート
されていたんですが、まぁまぁブサイクでした(笑)。
でも、これだからこそヘドウィグに合っていた、という褒め言葉。
浦井君って、顔が小さいから華奢なイメージがあるんだけど
体は結構ゴツイんですよね(笑)。太ももとか、かなりガッチリしてるし。
そのアンバランス感が、逆によかった気がします。
男とも女とも言えない、宙ぶらりんな状況と、女装しても
ちょっとゴツくて、綺麗・・か?という感じがフィットするというか。

私はこの作品に対する熱烈なファンという訳ではないので、作者の
ジョン・キャメロン・ミッチェルが舞台に込めた権力への想いや
様々な比喩(「グミ」の比喩とか、分からんわ・・・。)とかは
正直分からない状態で観ていたのですが、その辺りが分からなくても
伝わってくるものはあります。
逆に分かると、もっと深く楽しめたんだろうな・・とは思います。

まず、浦井君が凄かった。
冠君の指導で、ロックシンガーとしての歌い方を教えてもらって
それがミュージカルと全く違う・・という内容は見た事があります。
ミュージカルでは「歌詞が聞き取れるように」を大事にした歌い方
だけど、ロックでは必ずしもそうではない、というようなこと。
もう、すっかりロックシンガーの歌い方で、ミュージカル俳優だな
と思うのは、バラードの時に歌詞が聞き取りやすいことで分かるぐらい。
すっかりロックシンガーとしてシャウトしている姿は、素直に
すごいな・・と思いました。
そして、本当に「ヘドウィグ」がそこにいた、と思わされるような雰囲気。
怒ったり、自虐的になっていたり、悲しんだり、苦しんだり・・。
一緒にヘドウィグのライブを体験し、彼の半生を共有したかのような。
「カタワレ」についても、オーブンのシーンも、前に観た時には
感じなかった感情が湧いてきました。
(でも、トマトのシーン、あったっけ?映画ではすごく印象的な
シーンだったと思うけど、そこはあまり・・だったような。)
この作品が好きかどうか、という事は別にして、浦井君の新たな
一面が見られたと思うし、こういう役は合っていたようにも思います。

アヴちゃんも凄かった。イツァークそのもの、という感じ。
だからこそ、ラストシーンのウィッグをつけてドレスを着た時の
存在感の凄さに目を見張りましたし、あれでこそラストが成り立った
と言う印象すら受けます。しかし、美脚すぎる・・(笑)。

この二人の関係、すごく不思議で面白い。
似たところもあって、なのに敢えて傷つけあってて。
イツァークはヘドウィグを憎んでいるのに、離れられないし(まあ
実利的な面もあるだろうけど、やっぱり心配しちゃってるよね)
ヘドウィグもイツァークが嫌う事を敢えて言ったりして(ユダヤ人ネタとか)
支配しているのに、その直後に自己嫌悪に陥ったり、何だかんだと
イツァークを頼りにしているような雰囲気もあって。
結局はヘドウィグは母親からもトミーからも離れきれていないんですよね。

それがラストはヘドウィグはウィッグも衣装も脱ぎ捨て、そして
イツァークは(それまでヘドウィグに禁じられていた)ウイッグをつけ
ドレスを身に着け登場する。
本来の自分ではない状態から、支配・従属関係を超えて、本来の姿に
戻った・・縛られていたものから、自由になったと思える、ラストシーンは
やはり圧巻でした。
「Midnight Radio」は訳が違うので、また雰囲気も違ったし。

でもカーテンコールの時の表情は明らかに「浦井健治」なんですよ。
その差が凄いな、と思ったり、クスっとしちゃったり。
ちなみにアヴちゃんは浦井君に「いつもありがと♪」と言ってました。

今回は前回観た時と受ける印象が全く違って色々と腑に落ちる舞台だった、
と思いますし、この舞台が支持される理由も分かった気がします。
 
終演後