遠征3本目はこちら。こちら再演ですね。
たまたま観にいった公演のチラシで知った作品でしたけど、本能的に(笑)
「観たい」と思った作品です。
台風の被害で苦しむ方がいらっしゃるか中の遠征は、心苦しいものも
ありましたが、定刻で運行され始めた新幹線に乗って東京へ向かいました。

受取人不明2019
unrato #4「受取人不明 ADDRESS UNKNOWN」
サンモールスタジオ
原作:クレスマン・テイラー  演出:大河内直子
出演:池田努、畠山典之
【あらすじ】 
マックスとマルティンはアメリカで画廊を経営し成功を収めた親友同士。1932 年、ドイツ人のマルティンは家族とともにミュンヘンに帰国。ユダヤ人のマックスはサンフランシスコに残ることになり、ドイツとアメリカにいる2 人の手紙のやりとりが始まる。そのころ、不況にあえぐドイツにはヒットラーが登場し…



正午頃に新宿に着いたものの、多くの店が閉まっていて新宿駅界隈は
ランチ難民で溢れています(ラグビーWカップのせいか外国人
観光客も多かった)。結局私もどこにも入れず、時間も中途半端に
なってしまったので、新宿御苑前近くの公園でボーッとしながら開演待ち。
台風一過の言葉を全力で表現するような、青空で爽やかです。

この舞台は二人芝居で、キャストは6名。日替りキャストです。。
本当は青柳尊哉×須賀貴匡か、高木渉×大石継太、池田努×須賀貴匡
のどれかで観たかった(須賀さんか大石さん狙い)だったのですが
どうしても日程がここしか取れなくて。
でも作品そのものに興味があったので、キャストには拘らずに
やってまいりました。(でもこの回のみチケットが残ってた・・)

サンモールスタジオはこれで2度目ですが、今回は最前列。
女の私ですら、足元に数センチの余裕もないほど舞台のギリギリの所に
椅子が置かれています。上演中に「足を伸ばしたい」とまでは
言いませんが、あれは詰め過ぎなんじゃないですか?男性だったら
どうしますか?と思うぐらいです。
椅子も小劇場でよくある、子供が座るような低い椅子でした。
うわぁ・・・と思った状態で、開演−。

この作品はもともとはアメリカで発表された小説「届かなかった手紙」
を元にオフブロードウェイで舞台化され、日本では昨年の上演に引き続き
再演となった・・んだそうです。
手紙のやり取りだけで成立する舞台・・と聞くと、メールのやり取り
だけで成立していた「Re:」のような感じ・・?と想像するも、
でも朗読劇じゃないんだよね?ぐらいの認識でした。

実際は朗読劇ではなく、通常の二人芝居で、実際に用いられる手紙は
(少なくとも目の前だったマックスは)殆ど白紙であり「朗読」とは
違っていましたね。



結論から言うと、足元の窮屈さなんて忘れてしまいましたね。

舞台上には左右にデスクが1台ずつ置かれています。
上手はアメリカから祖国に戻ったマルティンのドイツ ミュンヘンの自宅。
下手はアメリカに残ったユダヤ系ドイツ人のマックスのSFのオフィス。
二人はアメリカで画廊の共同経営者だったので、このオフィスにはかつて
マルティンも働いて居たんでしょう。
ハンバーガーをかじりながら、客席の中から登場したのはマックス。
そのままタイプライターに向かって、手紙を打ち始めます。

その手紙には彼らのサンフランシスコでの画廊が成功した事、
マックスがマルティン一家と如何に親しかったか、ミュンヘンでの活躍を
祈りつつ、友人の喪失感を感じているかが綴られていきます。
舞台ではマルティンがその手紙を読んでいる様子が並行して演じられて
いきますが、手紙をタイプするマックスも、受け取るマルティンも
嬉しそうで、楽しそうで、本当にこの二人はいい友人だったんだろうな・・と
客席に思わせるには十分すぎる程。

それから二人の間には何通かの手紙のやり取りがありますが、
その間に徐々に彼らの背景、その時代の背景が掴めてきます。

 マルティンはドイツで裕福な生活を送り、公職についた事
 マックスの妹のグリゼラとマルティンは愛し合っていた時期がある事
 グリゼラは今女優として花開こうとしている所である事
 ドイツではナチスが、ヒトラーが台頭してきている事・・・。

それらのやり取りを重ねるにつれて、マックスとマルティンの態度にも
違いが出てくるんですよね。特にマルティンかな。
あれだけ手紙を嬉しそうに受け取っていたのに、思い悩んでいて
笑顔が見られなくなってくる・・。
マルティンはドイツ労働者党の党員になっていて、ヒトラーに心酔して
しまっていたんですよね。当然、ナチが推進していたユダヤ人迫害に
ついても受容するようになっていて、あれだけ仲の良かったマックスに
「ユダヤ人だったのに何故か仲が良かった」等と言うようになり、
「ユダヤ人殺しは必要なスケープゴート」であるとまで言い、最後はもう
「私たちの間にもう友情はない」「もう手紙をよこすな」と。

仲の良かったマックスはマルティンの変化が本心からのものなのか
が分からず苦悩しながらも、その現実を受け入れようとするけど、
やむなく再び手紙を出す決心をする。
ミュンヘンの公演に出かけた妹のグリゼラへ宛てた手紙が「受取人不明」
で返送されてきたから・・・。
マルティンは必至でマックスに妹の消息を調べてもらうように頼む
のだけど、その手紙を読んでいる間のマルティンの驚愕しているような、
怯えている様な辛そうな表情がね・・・。
それは、自分に助けを求めに来た親友の妹を見殺しにしてしまった
からだったのですよね。

その事を知った時のマックスの嘆きったら・・。本当に目の前だったので
こちらまで辛くなってきたし、周りには泣いている方も多数。
泣き叫ぶのも笑うのも実は似ているのかも・・と、初めて思ったな。

その後からマックスの反撃が始まります。
マルティンにまるでビジネスを装ったような電報をドイツ名で送り続ける。
アイゼン・シュタインなんて(実在の数学者)偽名感ムンムンで。
全く意味不明だし、日付や数、地名などもいっぱい含まれているので、
政府の検閲に引っ掛かるのは明白だし、それが目的だったんだよね。
「妹を助けてくれ」という懇願を無視されたマックスは
「もう(疑われるような)手紙を送るのをやめてくれ」というマルティン
の懇願を無視し、むしろ乱れたネクタイやシャツを正して、なおも手紙を
書き続ける・・・。厳粛に「とどめをさす」かのように。

そして、マルティン宛てに送った手紙が「受取人不明」で戻ってきて
自分の復讐が終わった事を知るマックス。

確かに、かつて愛した親友の妹を見殺しにしたマルティンはクズとも言える。
でも、当時敗戦国として多額の賠償金を払わなければいけなかったドイツが、
「ドイツ人としての誇り」を訴えるヒトラーに希望を見出した事は
想像に難くない。まして、妻子もあり、公職についている自分の家に
ユダヤ人の女が逃げ込んできた、と言うだけでも疑われるに十分だと言うのに、
後ろには突撃隊も追って来ている。
そんな状況で親友の妹とはいえ、ユダヤ人を助けられる人がどれだけいるか。
そこまでの状況だという事をアメリカに居るマックスは分からないんだと
思うだけで、マルティンを責めるのは酷だと思うんですよ。

マックスもマルティンを信じてきていたので、あの行動には「裏切られた」
という反動もあったと思われるんですよね。
でも最後の「受取人不明」の手紙を受け取った時の彼には達成感よりも
哀しさのほうが勝っていたんだろうと思います。
マルティンも、ずっと苦しそうでした。
本当にマックスの事をどうでもいい・・と思っていたのならば、敢えて
危険を冒してまで、グリゼラの最後を伝えたりしないでしょう。
マックスが開幕直後に言っていた「記憶に残るのは優しさだ」という
セリフがとても重く心に残ったエンディングでした。

これは「手紙のやり取りだけ」なので、お互いが面と向かって演技をする
という事が殆ど無い。これって、相手の反応を見て対応が出来ないので
演じる側はやりづらいんだろうな・・と思います。
でも、手紙のやり取りの日付で時の流れを確認し、お互いの表情や
リアクションでその時間を実感し、お互いの心の距離や心の動きを知る。
演劇でなければ楽しめない演出だよな、と思いました。
このお二人は初めて拝見する方でしたが、とても良かったです。
池田さんは石原プロダクションの俳優さんで、畠山さんは教師として
働いていた事もある元劇団四季に所属していた方なんだとか。
ほんと、世の中には私の知らない素敵な俳優さんが沢山いらっしゃる・・!

面白かったです、とっても。
無事に観られてよかった〜。そしてまた今後の「アン・ラト」の
作品が気になるようになってしまいました。小劇場沼・・・。