朝イチで1時間ほどウォーキングをし、ホットヨガで汗を流した後
慌てて名鉄ホールへ。13時から観劇なのです。

テイキングサイド「テイキングダイド〜ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日」
名鉄ホール1列目 13:00開演、15:45終演
作:ロナルド・ハーウッド  演出:行定 勲
出演:筧利夫、福田沙紀、小島聖、小林隆、鈴木亮平、平幹二朗

【あらすじ】
1940年代ドイツ。
フルトヴェングラー(平幹二朗)は、ベルリン・フィルの常任指揮者に就任。この頃台頭したヒトラーに寵愛を受け、ドイツ中の喝采を浴びていた。戦後、立場は一転、英雄から戦犯扱い、そして裁判へ引きずり出される。彼を取り調べることになったアメリカの少佐アーノルド(筧 利夫)はナチもヒトラーも憎い。フルトヴェングラーはナチ党員だったかもしれない、と疑い始めたら怒りがエスカレート。執拗なまでに審理を行い、夫がユダヤ人ピアニストだったザックス夫人(小島 聖)やナチ党員だったことを隠すベルリン・フィルの第2ヴァイオリン奏者ローデ(小林 隆)らから参考人として証言を求め、フルトヴェングラーを追い込んでいく。だが、アーノルドのあまりの過剰さに、秘書のシュトラウベ(福田沙紀)やアシスタントのウィルズ中尉(鈴木亮平)は反発する。自分の信じるもののために闘う人々を描く物語。



何と言っても平さんが観たい、筧さんも小島さんも小林さんも
好きな俳優さんなので、楽しみにしておりました。
確かに銀河劇場っぽい作品ですよね、史実をベースにした
硬派な作品で海外脚本、でも新国立ほどガチガチに堅くない
っていうのが(笑)。

この作品は、ワンシチュエーションの会話劇。

もう、平さんの存在感の凄い事と言ったら!!!
以前に観た「リア王」の存在感(特にカーテンコールの)は過去最高
なんじゃないか?って思うほどだったのですが、部屋のドアが開き
姿を現したフルトヴェングラー(平幹二朗)は、威厳にあふれ、
自信に満ちていて、観ているこちらが圧力を感じるほどの存在感。
ああ、凄い・・。知ってたけど、やっぱり圧巻(笑)。
もう、これだけで「観に来た甲斐があるわ」って思っちゃう。
自分の音楽に誇りを持ち、大切にしてきたし、自分の信念を貫いたし
多くのユダヤ人も救ってきた。誰からも後ろ指を指されるような
事はない、という自信があの威厳に繋がっている。

そんなフルトヴェングラーに尋問するのはアーノルド少佐(筧利夫)。
アウシュビッツで衝撃を受けた少佐が、ナチスに対して異常とも言える
敵対心を持ち、執拗にフルトヴェングラーを追い詰めようとする。
尋問側が口を閉ざせば、必要以上にペラペラ喋りだすものだ、という
信念があり、実際にその方法で相手の口を割らせてきた。
でも、このフルトヴェングラー相手にはその手が全く通用しない。
この人自身に後ろ暗い所が全くないから。
結局はアーノルド少佐自身が焦れて自ら話し出す。
こういうやりとリを観る限りでは、アーノルド少佐の尋問は“言いがかり”
レベルであり、ちょっと異常なんじゃないの?と思っちゃう。
多分、秘書のエンミ(福田沙紀)も、アシスタントのウィルズ中尉
鈴木亮平)も同じ気持ちなんだと思う。

でも、話をするうちに二人の決定的な違いが分かってくる。
少佐は「ナチスに敵対していた人」と「それ以外」で人を分ける。
 “それ以外”の人=全員ナチス側の人間とみなす。
フルトヴェングラーは「ナチスに積極的に加担していか、いないか」
で考える。“積極的に加担していない”=“ナチス側の人間ではない”。
ナチス政権下で生きる手段として、入党した人も居たはずで、それを
知っている当事者と、そうではないアメリカ人の差なのかもしれない。

フルトヴェングラーは確かにナチスに積極的に加担はしていない。
むしろ、距離を置こうとしていた。
「近づいてきたのは向こう側であって、自分はそのつもりはない。
 むしろ避けてきた」ということ。
けど、少佐の分類法で考えると「ナチス側」という事になってしまう。
だからこの二人の会話は当然ながら、かみ合わない。

フルトヴェングラーは自分の大切にしてきた音楽・芸術だけは
政治とは切り離し分けておきたいと思っていたし、実際に
そうしてきたという自負がある。自分の成し遂げた功績も自覚している。
ただ、アーノルド少佐は音楽に興味が無く、自分の業績を理解しない。
また実際には自分の音楽を自分のあずかりしらない場所で、
政治的に使われ、政治的に解釈されてしまう事を知り、
「音楽を政治と分けるなんて無理だ」と力なく座り込んでしまう。
目に涙を浮かべながら。
もうねー、最初の登場シーンの迫力・威厳は一体どこへ?と
思わずにはいられない程のボロボロさ。ああ、平さん素晴らしい。
最初は「そんなご無体な」と思ったアーノルド少佐の“言いがかり”も、
このフルトヴェングラーを観て何となく、少しだけ分かったような
気がしたのでした。
本人がどう思って行動したのか、ではなく、他人の評価に振り回され、
苦しめられたりするんですよね。
たまたま反ナチの集会に居合わせただけなのに、英雄扱いされた
男を父に持つエイミも、また違う意味で苦しんでいた訳で・・・・。

序盤で小島聖が演じるタマーラ・ザックスが「真実を明らかにする」
と言われた時
「誰の真実?勝者の真実?敗者の真実?死者の真実?」
(セリフは不確かです)とアーノルドを問い詰めるシーンがありますが
まさにそれが「テイキング・サイド」なんじゃないかしらと思ったり・・・。
単に“裁く側”と“裁かれる側”と言うだけではなくてね。

平さんの存在感は抜群だし、筧さんの長台詞も巣晴らしいのですが
小市民の代表のような小林さんも、世の中に翻弄された未亡人を
演じた小島聖さんも、自分の立場と自分の考えに板ばさみになる
鈴木も皆さんとても良かったです。
そして、途中で上映されたアウシュビッツの衝撃的な映像の数々。
人や死体が完全に“モノ”として扱われる映像。しかも“不要なモノ”として。
アウシュビッツは過去に写真展などに行って、エグイ写真も見た事が
ありますが、今までで一番エグかったのでは?
動画だから尚更そう感じたのかもしれません。

最初に流れていたベートーベンの「運命」。象徴的です。