一度は観てみたいと思った劇団AUN。今個人的に注目している
溝端淳平君が出演されると言うので、観てみることにしました。

一尺四方の聖域
劇団AUN 第25回公演「一尺四方の聖域」CBGKシブゲキ!!B列
18:00開演 21:00終演
作・演出:市村直孝
出演:吉田鋼太郎、溝端淳平
大塚明夫黒沢ともよ原慎一郎橋本好弘北島善紀星和利坂田周子千賀由紀子悠木つかさ金子久美子長尾歩岩倉弘樹松本こうせい工藤晶子海陽子飛田修司谷畑聡長谷川祐之齋藤慎平伊藤大貴佐々木絵里奈山田隼平松尾竜兵橋倉靖彦河村岳司近藤陽子砂原一輝宮崎夢子上田理咲子
【あらすじ】
舞台は昭和33年。シベリアからの引き揚げ船で13年ぶりに祖国の土地を踏んだ抑留者達。彼らはシベリアから引き揚げの際、持ち物は疎か身分証さえ身に付けることを禁じられていた。白瀬悟(溝端淳平)は祖国の地を踏んだ途端気を失ってしまう。引揚げ援護局施設で目を覚ました白瀬は収容所(ラーゲリ)での記憶に悩まされる。そんな白瀬を看病する春田医師(大塚明夫)と局長岩本(吉田鋼太郎)、白瀬の帰国を知って駆けつける幼馴染みの吉澤美和(黒沢ともよ)との邂逅。収容所での抑留者ノブ(橋本好弘)との記憶から発露する人間の尊厳。そして満州通化事件に遭遇した帝国陸軍二等兵(原信一郎)との出会いは白瀬の運命を決定付けていた。錯綜する白瀬の記憶が人々の唄う歌によって徐々にほどかれていく。



元々の席は最前列、上手の一番端っこ席。
見えない・・最悪だ・・・。と思っていると、スタッフの方が
やって来て、見えづらい席の為、後ろの席に交換しますとの申し出が。
多少後ろの席であっても、この席よりはマシでしょう!
と思ったのでそのお申し出を受けたところ、2列目のセンターブロック
端の位置でした、全然観やすいじゃん!!
1列目の私たちの隣の席は空席のままだったので、もしかすると
本来は発売しないはずの席だったのかもしれません。
(まあ、後ろのほうは空席も結構ありましたし)

感想は追記にて。
 



劇団AUNはいつかは拝見したかったのですが、なかなかタイミングが
合わないままで。でも、私この劇団はシェイクスピアをメインに
上演しているものだと思っておりましたが、最近はそういう訳でも
なかったんですね。これは劇団AUNの初めての音楽劇なんだとか。
うーん、知っていたらチケット取るのを悩んだかもしれない(笑)。
(音楽劇はあまり得意なジャンルではないので。)
フライヤーがスーツ姿だったので、現代の話かと思いきや、めっちゃ
昭和(終戦後)のお話でした。終戦後の話で音楽劇・・。
でも開演前から女性スタッフの方が、割烹着姿だったりして、微妙に
昭和感を醸し出していました。

ぶっちゃけ、私はこういう音楽劇が苦手なんです。
原慎一郎さんや黒沢ともよさんはいいとして、その他の方の歌唱がね・・。
「下手」という程じゃないし、ミュージカルじゃないから、
そこは諦めろと言われたらそれまでなんですが、この劇場、このセットや
衣装等でこのチケット代(9,000円)を払ってるのに?と思っちゃうんです。
やっぱり商業演劇としてお金を取るならば(しかも小劇場で普段上演
される舞台2公演分ぐらいの値段です)「すごい」って思うものを
みせて欲しいし、私、ここは譲れないんです。

あと、お芝居の雰囲気と劇場がマッチしていない感。
これが駅前劇場とか、シアター711とかで上演されたら思わなかったと思う。
私は「小劇場で上演される芝居」を観るのは好きだけど、「小劇場っぽい」
芝居が好きな訳ではないんですよねぇ。

・・・と、ここまで読み返して、この舞台の事をめっちゃディスってる!
という事に気づきました(笑)。
確かに気になる点があったのは事実ですけど、芝居そのものに対しては
泣けたり、考えさせられる所もありました。

帰って来るかどうか分からない子供や夫を出迎えに、引き揚げ船を迎える
女たちが切なくて、まあ、泣けますよねぇ・・。
こんな人が当時は本当に沢山居たんだろうな、と思ったりもします。
また、幼馴染の最後の様子を、務めて冷静に聞こうと「はい、はい」と
涙を流しながら、頷く吉澤美和の様子は、目が離せませんでした。

今回目的の一つだった、溝端淳平さんも良かったです。
テレビとか映画はまあ・・ですが、舞台俳優としての溝端さんについては
これからも観続けていきたいな、と改めて思った私です。
鋼太郎さんは・・良くも悪くも鋼太郎さんでしたね(笑)。
ただ、あれ、同じ人だって気づかないモノなのかなぁ?いくらメガネを
していたとはいえ、体格や顔の感じ、声とか、忘れられない相手だろうに。
私は「二役やってる」んだと思い込んでましたよ。

「歌う」事の意味や、歌の持つ力について伝えたいから「音楽劇」
になったんだろう、とは思いますが、一番伝えたい事が「歌の力」だ
とは、私には思えなかったので、音楽劇にする必然性があまり感じられ
なかったのかもしれません。
私は「歌の力」と言うより、「生きる」事の大変さ、尊さの方が
ドンと来たかな。
仲間を見殺しにしてしまっても、生き帰ってその最後を伝える事で
救われる人が居る。シベリアの収容所でパンを争ったり、密告におびえる
ような生活をしていても、生きていたら帰る事が出来る。
トラウマで生きている事が辛いような状態でも、いつかはその状態を
逃げ出すことができる時もやってくる。何よりも生きて帰ってくる事を
待っている人たちがいる−。

「一尺四方の聖域」って何かなーと思ったのですが、芝居の中で
「一尺四方の白木の箱」って言うセリフがあるんですよね。
とすると、骨壺を入れる箱の事なのかしら、と。
(調べてみると、30センチ四方なので、実際今使われている桐箱よりは
一回り大きいみたいなんですけど)
もう「一尺四方の白木の箱」に入ってしまったら、誰からも迫害
される事のない聖域って言う事なのかな・・と。
逆に言うと、生きている限りは安全な場所は無い、生きることは
それだけで大変な事、って言う事にもなるのかな・・と。

私は当時のソ連の「赤化教育」がどのようなものだったのか、正直
良く知らなかったので、ちょっと唐突感があったのですが、あれから
色々と調べてみると、あながちあの舞台の内容が突飛な訳でも何でもなく
ぜんぜんあり得る状況だったのだと知りました。

歌の力だったり、仲間を見殺しにしてしまったトラウマだったり、
幼馴染との恋愛だったり、シベリア抑留や赤化教育だったり、山場が
色々ありましたが、それが一つに集約されていく、というよりは、
「色々な要素がある」という印象のほうが強かったのかもしれません。

ホロっときたり、役者さんの熱演に圧倒されたりした作品ではありますが
ちょっと割高感は残ったかな、と言うのが正直な感想です。