行ってきました、下北沢駅前劇場へ。
一旦は見送るつもりでいた作品ですが、スケジュールの
都合がついたので、思い直してチケットをGETしていたものです。

墓場なき死者「墓場なき死者」駅前劇場 B列
14:00開演、16:40終演

作:ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル
演出:稲葉賀恵(文学座)出演:土井ケイト、田中亨(劇団Patch)、中村彰男(文学座)、富岡晃一郎、渡邊りょう、池田努、阿岐之将一、柳内佑介、武田知久(文学座)、山本亨

【あらすじ】
1944年7月、ドイツ軍占領下のフランス。連合軍のノルマンディ上陸後、ドイツの敗北が色濃くなる中、レジスタンスの村が襲撃される。フランスの自由を勝ちとるため戦うレジスタンスの兵士たちは、村民とともにドイツ軍に虐殺される。わずかに残った5人の兵士は、ドイツに協力しているペタン政権派の民兵により監禁され、 隊長の行方を吐くようにと拷問を受ける。拷問する側も拷問される側も同じフランス人だ。5人の兵士たちは、隊長の所在を明かしてしまうかどうかで諍いを起こす。極限状態の中、果たして彼らは自尊心=プライドをかけて何を選択するのだろうか・・・。



有名な俳優を広くキャスティングして、幅広い人に演劇的に面白い作品を
プロデュース、大規模興行を成功させているのがシスカンパニーだとしたら、
オフィスコットーネはちょっとエッジが効いた作品や、プロデューサーの
綿貫凛さんが好きだと思える作品だけを、手練れの俳優さんを
キャスティングして小劇場で上演している、というのが私の勝手なイメージ。
どちらも演劇に詳しい方が、魅力ある作品を上演し続けていて、
観てもガッカリさせられることは少ないだろうっていう安心感があります。

特にこのオフィスコットーネは「こういう作品を観てもらいたい」という
綿貫さんの気迫が伝わってくるようなチョイスだと思う事が多く、
サルトルに苦手意識があっても、内容を知らなくても、「観てみるか」と
思わせられちゃうんですよね。
そう言えば、シスカンパニーの北村さんも、このコットーネの綿貫さんも
女性プロデューサーですね・・・。

劇団の先行予約では席の場所のリクエストができて「端っこは遠慮したい」
旨を伝えてあったので、比較的真ん中の席で観られたのは嬉しい。





軍服を着た男性が一人入ってきて、壁(黒板になっている)にチョークで
文字を書いて、舞台がスタートします。

「Morts sans sepulture」

おっとぉ。フランス語か。外国語学部(フランス学科)出身とはいえもう
フランス語の知識も錆びついてるしな・・と思ったのですが、「Morts」が
死者という事と、「sans」が英語の「without」だという事ぐらいは
覚えているので、この文章は「墓場なき死者」だな、という事が分かります。
(厳密には「sepulture」は「埋葬」と言う意味らしい)

小部屋には捉えられたレジスタンス達が手錠を嵌められ、捕らえられている。
姉がレジスタンスだったため、受動的に手伝いをしていた少年や
レジスタンスの隊長を愛している少年の姉。彼女は唯一の女性捕虜だ。
過去にも拷問を受けた事がある男性もいれば、そうでない者もいるが
全員が不安で、不安のやり過ごし方に個性が現れるんですよねね。

ソルビエ(渡邊りょう)、カノリス(中村彰男)と呼び出され階下で
尋問というか、拷問が行われます。
その様子は見えませんが、叫び声や戻ってきた姿で過酷な拷問なのは
充分想像がつく。もちろん、それは、捕らえられた他の仲間たちも
じきに自分も同じ状態になると理解するのですが、3人目に呼ばれたのは
アンリ(富岡晃一郎)。
ここで場面は変わります。全く同じ舞台ですが、そこに居るのは
ナチス側についた民兵たちがいるあの「真下の部屋」。
今度はアンリが尋問(拷問)を受ける様子を私たちも目にする事になります。

これが、ハンパなくエグイ。
拷問シーンと言えば「1984」をすぐに思い出しますが、個人的には
こっちの方が断然エグイ。血が噴き出したりするようなギミックは無い
んですけどね。目を逸らしたいのに逸らせないというか、固まるというか。
あともう少しあのシーンが続いたら、私はガチで貧血で真っ青に
なっていたかもしれない・・と思う程でした。
それだけ痛めつけられ、追い込まれていく富岡さんの演技が素晴らしい
(トミーを拝見するのは久しぶり!)という事もありますし、拷問する側の
(特に阿岐之さんのようなクールな顔立ちの方がこういう役をやると、
冷酷感がハンパなくて怖い。)表情も素晴らしかったんだと思います。

ただ、このシーンを通して拷問する側の3人も考え方、受け止め方が
必ずしも同じではない、拷問する側にも不安がある事は分かります。
拷問の事を「お楽しみ」なんて言ったりするけど、本心ではなさそう。
(クロシェはちょっとクールすぎて分からない)
今は「拷問する」立場だけど、いつかは自分たちも立場が変わって
殺されてしまう時が来るだろう・・と予感しているようでもあって、
何かに追い立てられているようにも見える。
特にランドリュは、何となく「命も顧みず信念をもって口を割らない」
レジスタンス達と自分を比較しているようにも思えるんだよね。
だからこそ、「隊長の場所を知る」のではなくて「口を割らせる=
負けたと思わせたい」に固執している。
でも、どちらも同じフランス人なのにね。

ナチス側の民兵が黒板に「Sorbie」と書いて出ていきます。

結局、気弱で「落としやすい」と思われたソルビエが再び拷問される事になり
自分の気弱さを自覚していたソルビエは、窓から飛び降りて自殺し、
隊長の行方を自白する事を防ぐんです。
そうか、「埋葬されない死者」と書かれた下に名前が書かれたソルビエが
死にますよ、という事だったんですね。

唯一の女性だったリュシー(土井ケイト)も連れていかれ、皆が想像する通り
普通に拷問されるだけでなく、民兵達に強姦されて戻ってきます。
泣いたり、嘆いたりすることが無い代わりに、全身が剣山みたいな状態で。
誰かと心を通わせるような事も出来なくなってて・・・。

そして次に黒板に書かれる「Francois」。
次に拷問を受けるのは、間違いなくリュシーの弟だったフランソワ(田中亨)。
まだ幼いフランソワは「死にたくない、隊長の事を話す」と叫ぶのですが
隊長であるジャン以外は「話しちゃいけないのよ」と言い、首を絞めて
殺してしまうのですよね。
一瞬「なんて事を!」と思うのですが、もしかするとすぐに絞殺された
フランソワは一番幸せだったのかもしれない、なんて思ってしまう・・・・。
田中さん、松阪桃李君にちょっと似てると思ったのは私だけかな(笑)。

隊長であるジャン(山本亨)は素性がバレない状態で捕らえられていたので
拷問を受ける事は無く、手錠も嵌められていない。
この段階で、同じレジスタンス側の人間なのに「拷問を受けた人」に
言葉にならない連帯感というか、仲間意識が生まれて、「拷問を受けていない」
ジャンはどうやってもそれが超えられない、と言う状況が起きてきます。
そうか・・・。
あり得るかもしれない。
決して「ジャンも拷問を受ければいい」と思っている訳じゃない。
むしろ、今となってはジャンの消息を話さない、という事のみが唯一
生きている目標のようになっているのだから、その立場の違いはもう
決定的になってしまったし、そこにイラつくジャンが無神経のように
思えたり、残りのメンバーが意固地に思えたり・・・。

結局、残りの3名も命と引き換えにジャンの居場所を話して、
(とはいえ、偽情報だけど)部屋に戻される事になります。
あれ、あの後3名の名前も黒板に書かれたのに、殺されないんだ・・と
思ったとたんに響く銃声。
「なぜ!?」と驚き、怒りの表情になるランドリュに対して、酷薄な
笑いを浮かべるクロシェ。ああ・・・やっぱり殺されてしまったんだ。

そして暗転し、再び明るくなった時には、この拷問する側の4人も
含めた全員が床に倒れている状態で、幕ー。

内容の衝撃は「1984」以上で、ディストピア感で言ったら、昔見た
「マーキュリー・ファー」に近いものがあるな・・と思った作品でした。
息をするのも忘れてしまいそうな所が似てる。
同じフランス人で、戦争が無ければ「痛めつける側」「痛めつけられる側」
に分かれる事等なかったであろう人達。
個人的に憎しみあって殺しあったわけではない。ある意味みんな、戦争の犠牲者。
望んで死んだわけではないけど、まるで死ぬことが彼らにとっての平穏
のように思えたのが、なんとも切なく、やりきれない思いでした。
あとは「尊厳」という言葉の重みも・・ね。

この舞台上の緊迫感と、客席がその陰惨な状況を身動きせずに「目撃」
している感覚は、やはり映像では伝わらないと思われ、また大きな劇場でも
伝わらないのではないと思われるようなものがあり、この小さな空間で
演劇を観る醍醐味、そのものだと思いました。

役者さんも皆さん素晴らしくて。
どこかの舞台で拝見したことがあるような方ばかりだったのですが、もう・・!
上の感想の所には書けませんでしたが、土井ケイトさんも素晴らしかった。
彼女の潔癖さ、真っすぐさには、女性ならではの感性が活きていたとも
思いますしね。見ている方もしんどい作品でしたが、演じている皆さんも
しんどい作品だったんじゃないでしょうか。

でも、見送らずに観に行ってよかった。めっちゃ疲れたけど(笑)。
こういう作品に出合えるから、劇場での観劇は止められないんだな〜。
オフィスコットーネの次の作品も楽しみです。