遠征の2本目はシス・カンパニーのこちら。
た組。はどちらかというと苦手傾向なため、演出が加藤さん
という事に抵抗感があったのですが、何せキャストが豪華だし
ルーシー・カークウッドの作品という所に惹かれまして。
「チルドレン」も「チャイメリカ」も面白かったですから。

ザ・ウェルキン「ザ・ウェルキン」シアターコクーン XC列(最前列)
18:30開演、21:00終演
作:ルーシー・カークウッド  演出:加藤拓也
出演:吉田羊、大原櫻子、長谷川稀世、梅沢昌代、那須佐代子、峯村リエ、明星真由美、那須凜、西尾まり、豊田エリー、土井ケイト、富山えり子、恒松祐里、神津優花、土屋佑壱、田村健太郎、[声の出演]段田安則
【あらすじ】
1759年、英国の東部サフォークの田舎町。人々が75年に一度天空に舞い戻ってくるという彗星を待ちわびる中、一人の少女サリー(大原櫻子)が殺人罪で絞首刑を宣告される。しかし、彼女は妊娠を主張。妊娠している罪人は死刑だけは免れることができるのだ。その真偽を判定するため、妊娠経験のある12人の女性たちが陪審員として集められた。これまで21人の出産を経験した者、流産ばかりで子供がいない者、早く結論を出して家事に戻りたい者、生死を決める審議への参加に戸惑う者など、その顔ぶれはさまざま。その中に、なんとかサリーに公正な扱いを受けさせようと心を砕く助産婦エリザベス(吉田羊)の姿があった。サリーは本当に妊娠しているのか? それとも死刑から逃れようと嘘をついているのか?なぜエリザベスは、殺人犯サリーを助けようとしているのか…。法廷の外では、血に飢えた暴徒が処刑を求める雄叫びを上げ、そして…



 
久しぶりの最前列だーと思ったけど、めっちゃ端っこの席でした。
ステージ自体は低めに作られていたので、見にくくはなかったけど。





あらすじを読む限りは「12人の怒れる男」の女性版みたいな感じ?
と思っていたんですけど、全然違ってましたね。
もちろん、「陪審員たちが評決を下すまでの過程を描く」という意味では
同じなんですが、「12人の〜」とは時代も違うというのも大きいかも。
そもそも、被告人が「犯罪を行っている」という事自体は疑う余地が無く
「妊娠しているかどうか」を判定するだけですからね。

時代も違えば、女性の立場や社会的地位も違う。
幕が開くと、まるでフェルメールの絵のような女の人たちが
洗濯とか家事・育児をしている様子がストップモーションで表現されます。
当時は「家事や育児をする労働力」としてしか見てこられなかった女性
を象徴的に描いているんだと思いますが、まるで絵を見ているかのようで、
素晴らしくインパクトに残る幕開きです。
開演直後に「わあ」って思う演出、嫌いじゃない。

女性の地位が高くないよね、っていうのは陪審員の選ばれ方からも分かる。
裁判を観に行って、妊娠しているかどうか確認しなければならない、
となった瞬間に閉じ込められて帰れなくなった(突然強制的に陪審員に
させられて、評決が出るまで飲食も暖を取る事も認められない)と。
女性たちには20人以上の出産をした強者もいれば、流産を繰り返した人や
現在妊娠中の人も居て、後から助産師であるエリザベス(吉田羊)が
呼び出されるんですよね。

しかし、どんだけ出産経験があっても、他人の妊娠初期なんて
判別つかないでしょうよ、と思ったけど、やはりそうで、確たる証拠も
なく、サリー(大原櫻子)が嫌いとかいう理由だけで、「妊娠は嘘」と
決めつけたり、母乳が出たと言っても、捨ててしまって知らんぷりを
してしまったり・・と、女性だからって女性の味方になるとは限らない
という事をまざまざと見せつけられる。

ただ、そうやってサリーを追い込む女性も、家事などでこき使われ
助産師であるエリザベスが発言しても、女性からですら信頼されず
結局は男性医師の判断を仰ぐことに。
まあ実はサリーはエリザベスの子だったんだけど、そもそもレイプされて
生まれてきた子だったりする訳だからね・・・。

とはいえ、無事に(?)「懐妊」が確認されて「やれやれ」と思ったのも
束の間、サリーの処刑が無くなる事を快く思わない元雇い主のレディ・ワックス
から金を貰ったクームスの暴力により、サリーは流産をしてしまう事に。
もう「おええええ」ですよ。
自分の処刑が現実になったサリーは「処刑だけは嫌だ」「死体が晒される
のは我慢がならない」とエリザベスやエマに訴えるんですよね。
サリーは自分の子が流れちゃった事や、自分が死ぬことよりも、無様に
死んで、死体が弄ばれる事が嫌なんだな・・というのが、なんかねぇ・・。

ウェルキン(welkin)とは「大空、空、天」(Weblioより)という意味だそう。
ラストにエリザベスが「ねえ、上の方を見て」って言うんですよね。
そこからこのタイトルが出てきたんだなぁ・・と思いました。

とにかく救いがない作品。
女性には厳しい時代だった作品でもあります。作家も女性ですから
そういう所に対する怒りのようなものを感じつつ、やはり女性の痛みは
女性が一番分かるのよね、という想いも込められているような気がしました。
ルーシー・カークウッドの作品はどれも面白いな。

今回お上手な女優さんが一杯ご出演でしたけど、やっぱり大原櫻子さんが
凄かった、本当に。憎たらしくて、腹立たしいような小娘なんだけど
その中にちょっと気の毒な子だな、と思わせる要素もある、その加減が
絶妙だし、最後の痛がるシーンとか、こちらまで痛くなりそうだった。
人前で用を足す(もちろんスカートに隠れてはいるが)シーンなんかも
振り切ってるなぁ・・と思いますよ。

あとは、那須凛ちゃんに向かって那須佐代子さんが「娘に向かって」
みたいな事を言ってたのにクスっとしちゃったりだとか、土井ケイトさん
相変わらず迫力あってすごいわあ、とか、峯村さんもやっぱりお上手
だわあ・・とか、目が一杯欲しかったです(笑)。

正直「た組」はあまり得意ではない、という結論に達しているので
加藤拓也さんにも苦手意識があったのですけど、どうやら私は演出家
としての加藤さんはアリのようです。何だろう、「た組」の作品と
同じ演出家とは全く感じられないんですよね。
「友達」はやや似た雰囲気があったとはいえ、あれも面白かったし。
ふむ・・・。なかなか奥深いな、と思いましたが、今後の観劇作品の
チョイスの参考としたいと思います(笑)。