台風が直撃しそうなのに無理に遠征した理由のもう一つがこちら。
この作品にすごく思い入れがある訳ではないのですが、推しの出る
作品だしな、という事で、浦井ぼくVerを先に観る事にしていました。
ちなみにこの作品のモデルになった坪倉さんに関しては、ずいぶん前に
テレビのドキュメンタリーで取り上げられた時に拝見しておりましたので
著作は読んでおりませんが、どういう方なのか・・は存じ上げておりました。

Color「COLOR」新国立劇場小劇場 A1列(2列目)
17:00開演、18:25終演
脚本:高橋知伽江 演出:小山ゆうな 作曲:植村花菜
出演 浦井健治、成河、柚希礼音
【あらすじ】
雨が降る日の夕方。帰宅途中に乗っていたスクーターが、トラックに衝突。救急車で搬送されるが、そのまま意識不明の重体に。集中治療室に入って10日後、奇跡的に目覚める。しかし、両親のこと、友人のこと、自分自身のこと、そして、食べる、眠るなどの感覚さえも、何もかもすべて、忘れていた。目の前に出されたお米は、「きらきら光る、つぶつぶ」としか思えなかった“ぼく”には、世界はどのように見えたのか…。目の前に立つ「オカアサン」という女性のことを、心から本当の「お母さん」と呼べるようになったのか…。“母”の大きな愛。日常に沢山転がっているキラキラひかる幸せ。“ぼく”が歩み始める新しい世界はどんな世界なのか…


浦井ぼく
今回の「ぼく」役と「母」はそれぞれダブルキャストですが、ペアが固定。
コロナ対策なのか、それ以外の理由なのかは分かりませんが
個人的には、ちょっと残念。(いろいろ観てみたい)



実は開演時間が19時だと前日の夜まで思い込んでおり、新幹線も
そのつもりで手配していたのですが、実際は17時開演!
(結果的に予約していた新幹線は運休になったので関係ないのですが)
16時15分まで下北沢で舞台を観ていて、17時から初台で開演。
しかも下北の舞台は予定より時間が5分以上押していたので、もう
本多劇場からダッシュで駅に向かい、ダッシュで乗り換えて、何とか
開演15分前に劇場に到着出来ました・・。汗だく。
下北と初台がそこそこ近くて助かった・・・。

本当ならもっとゆっくり見たかったのが、坪倉さんの染色したお着物。
竹の葉

椿の実

紅葉

さくらの木の皮

帯
私はこの帯が一番素敵だと思ったなあ。

でも何かの記事で以前、「桜の花びら」で染色してももピンク色には
染まらない。さくらの木の皮で染めると、桜色のピンクに染まるんだ・・
というのを聞いた事があって、「こういう事か!」と思いました。
どれも優しいお色ばかり。
(残念ながら私はこういうニュアンスカラーが似合わないというか
原色が似合うタイプなので、着れないのですけども)

このお着物が地方公演にも一緒にやってくるなら、もう少しゆっくり
拝見したいな・・と思います。







この作品、上演前の舞台撮影は許可されている珍しい作品でした。
舞台写真
私は今回2列目のセンターだったので、席からはこんな感じ。
舞台真ん中にはダイニングテーブルと下手に電話台みたいなのがあって
あとは雲のような、モヤッとした白い色の壁が上手から上に伸びている。
そこにはいろいろな「色」が映し出されいてるという状態ですね。
下手側にミュージシャンの方が2名。

舞台はピアノの音色で幕を開けます。
ぼく・ソウタ(浦井健治)が「ここはどこなんだろう」と舞台の前方で
歌う後ろで母(柚希礼音)が「大切な息子を奪わないで」と
ダイニングテーブルの所で歌い、オロオロとしているが、電話に出て
安堵しているー。帰宅途中でバイク事故に遭って集中治療室で
生死をさまよった息子が助かったという知らせを受けた時の事なんでしょう。

この作品は実在の坪倉優介さんのお話のミュージカル化です。
バイクの事故で記憶喪失になった坪倉さん=ソウタ。
私達がイメージする「記憶喪失」は過去の人間関係やら、経験の記憶を
失うものであって(エピソード記憶言うらしい)、学習で得た知識や概念
(意味記憶というらしい)まで無くすことがあるというのは
この方のケースで初めて知りました。
食べるというのがどういうことか、美味しいとか、暑いとか、寒いとか。
文字の読み書きも出来なくなっていたみたいなので、ガチで赤ちゃんに
戻っちゃった、という事ですよね。
ただ、知識・記憶は赤ちゃん並みでも、恐らく情緒や知能は完全に幼児と
同じという訳でも無いだろうし、そもそも外見が「大人」だから、
自分自身のギャップに苦しむし、周りもそのギャップに戸惑うんだよね。

事故後、ソウタが仕事を始めた頃、編集者がソウタの経験を本にしたい
と言って訪問してきます。ちょっとしたストーリーテラーですね。
この作品はこの書籍が出来る過程を通して、ソウタとその母親などを
描いたお話という事となります。

この作品の話を聞いて、ソウタ役を演じる浦井君は割とすぐに想像が
出来ました。「アルジャーノンに花束を」のチャーリーを演じていたのを
観ているのでね。その想像については、やはり間違っていなくて。
全てを忘れて話すときの歌い方、話し方や表情まで本当に子どもそのもの。
アイスを渡されて冷たくてビビっている様子とかも。
インタビュー記事で柚希さんが浦井君の事を「体は大きいのに
ぽよぽよしてる」っておっしゃっていたのが分かる気がします(笑)。
ただその「幼児のような」ソウタも、少しずつ話し方がしっかりしてきて
「なんで、なんで」って母親を質問攻めにしている所とかを見ていると
お母さんは2度目の子育てをしているような心境なんだろうな・・と。

ソウタの苦悩は続くんだけど、その苦悩の理由も少しずつ変わってくる。
周りの人が「細い目で見てくる」のが嫌で一人になりたがっていたし
自分が何かに閉じ込められているという印象を持っていたのだけど、
友人や周りが自分の知らない過去を知っているのを目の当たりにして
自分の過去が取り戻せなくて、自分の中に欠落したものを感じて苦悩していく。

自分に困ったシチュエーションになると「ぼく、事故で・・」と言えば
相手はそれ以上突っ込んでこないので、その場を乗り越えられる事を
覚えてつつ、それは何の解決にもなっていないどころか、相手との距離が
出来てしまうだけで、自分の存在価値が全く感じられなくなってしまうソウタ。
家を出ていこうと母と対峙した時は、浦井君も柚希さんもガチでぶつかり
合っていて、あの迫力には目が離せなかったですね。

過去を取り戻す事ばかり考えていたソウタも、これからの自分で
自分の色を見つけていけばいいんだ、と前を向くようになっていき、
事故を起こしたバイクにも再び乗るようになるんですよね。
それを許した父親もすごいと思うけど、(実際の坪倉さんも今でも趣味で
ロードバイクに乗っていらっしゃるようですし)母親がどれだけ怖かったか。

「新しい過去」を大切にしていく事にしたソウタ。
草木染で使うのは、落ちた花とか葉ばかりで、咲いている花を取ったりは
しないとのこと。
花としては生涯を終えても、染料として別の活かし方がある。
記憶障害で過去の記憶は失ってしまって、過去の人生は失ってしまったけど
これからの「新しい過去」で新しい人生を楽しむことにした自分自身と
重ね合わせているからなのかな。
結果的に、「新しい過去」を生きるソウタも、「とりあえずやってみる」
「やってみないと納得しない」というマインドを持っていて、人って記憶は
大切だけれど、本質的な所では変わらないのかもね。

それにしても浦井君、40歳超えているとは思えないほどのピュアさ(笑)。
元々の浦井君も天然っぽい(よく言えばピュア)な所もあったので、
ハマリ役だったと思います。久しぶりにサラサラヘアでしたねー

そして初見の柚希さん。
宝塚のトップさんだった事は存じていますが、いい意味でそういうオーラを
消していらっしゃったな、と思います。

「大切な人たち」で何役も演じた成河さんはさすが、ですね。
自販機の紙コップで乾杯をした時に浦井君が全力でぶつけてきたので
紙コップがぺしゃんこになってしまい「まじか!全然ねぇじゃん・・」
って苦笑いしていらっしゃのが面白かったな(笑)。
しかし「大きな川」があって、「上と下の橋」があるって言うだけで、
よくその場所が分かるな、あのお父さん(笑)。

この題材をミュージカルでやるわけ?って思ったのですが、思った以上に
心揺さぶられる作品になっていました。
ミュージカルである不自然さも感じないし、恐らく日本語で作られた曲
だという事もあってか、歌詞がとても耳に入ってきやすかった。
何より皆さん、歌唱の面では不安のない方ばかりでしたからね。

なぜ草木染を?(「植物人間と言われた」事がきっかけ、と言っているが)
という所が少し弱いかなぁ・・と思わなくもないし、ここに出てくる父親って
めっちゃ存在感がないんですけど?!と思ったりもしますが、85分に
まとめる為には、仕方ないのかなー。
実際の坪倉さんも「母親に笑っていて欲しい」という気持ちが強かったと
おっしゃっていたので、それだけ母親の存在が大きいという事なんでしょうね。

個人的にあまりミュージカルは得意じゃなかったのですが、そんな事も
忘れて見入った85分でした。
名古屋で、成河ぼくVerも観る(ついでにもう一度浦井ぼくVerも)予定です。
成河ぼくVerも評判いいみたいなので、見比べてみるのがとても楽しみです。